千曲万来余話その510~「ドヴォルジャーク、チェロ協奏曲ロ短調L・ヘルシャー独奏が草原の涼しさ呼ぶ・・・」

 暑中見舞い申し上げます。午後10時頃の夜空、天頂には夏の大三角形で、デネブ・ベガ・アルタイルが一際目に鮮やか。天の川には白鳥座そのデネブの右側に琴座のベガ、下の方にわし座のアルタイルが分かるのでご覧ください。
 札幌も日中には最高気温32度を記録し、真夏日9日目ほど続いている。秋立つや川瀬にまじる風の音/飯田蛇笏、心理的な中に聴覚を効かせているところが面白い。立秋を迎えると残暑の候となる。
 ルートヴィヒ・ヘルシャー1907.8/23ゾーリンゲン生まれ~1996.5/8トゥツィング没、はドイツ孤高のチェロ奏者で6歳から始めケルン、ミュンヘン、ライプツィヒ、ベルリンで研さんを積み、1930年メンデルスゾーン賞獲得、1936年W・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル、独奏者としてデビューを果たしている。1937年ナチス入党という経歴があり、エリー・ナイPf、シュトロスVnらと三重奏で活動している。戦後、教育者としても活動し門下生にアニア・タウアーがいる。
 1959年頃テレフンケンステレオ録音でヨゼフ・カイルベルト1908~1968指揮ハンブルク国立フィルハーモニー管弦楽団と、ドヴォルジャーク、チェロ協奏曲ロ短調作品104、草原から吹く風による涼味満点のようで爽やかな演奏、一輪の花に永遠の生命、忘れられざる名演奏がここにある。
 指揮者カイルベルトは、質実剛健で、カラヤンと同期生でありながら、芸風は一線を画している。ハンス・クナッパーツブッシュのようなアゴーギグ緩急法の一時代前とは異なるが、オーケストラプレーヤーたち入魂の演奏は、まさにミュンヘングループの音楽だ。
 ここではハンブルク国立フィルではあるけれど、管弦楽の即興性はかなり強くて、特に、弦楽合奏は一級品の味わいを持つ。切れ味鋭く、リズム感が抜群であるし、なにより、生命感があふれていて、いつ再生してもフレッシュで独特の価値をもっている。カイルベルトの指揮は無私の感覚が有り、孤高で、高貴な音楽性、カラヤンはというといわば商業主義を前面に押し出しているのと異なり、芸術性の高い、指揮者51歳頃の記録となっている。
 L・ヘルシャーの独奏は、たっぷりと良く鳴る楽器でよく歌っている。エリー・ナイとアンサンブルを編成していて、彼女の芸術性と影響を受けているように思われる。ナチス国家社会主義党との関係性から、政治的に不遇でありながらも、それは時代なのだったように思われる。当時の与党がナチスゆえに不幸な歴史の中にあったがここでは、それを超えて受けとめようと思う。非ナチ化を経験?大戦後シュトゥットゥガルト音楽演劇大学1953~1971で後進の指導にあたる。1953年来日している。
 ボヘミア出身アントニン・ドヴォルジャーク 1841~1904はチェロ協奏曲ロ短調作品104を1894年に作曲着手、95年6月に全曲完成している。2年半の新大陸アメリカ滞在を終え帰国を果たしたのは95年4月のこと。郷土色豊かな音楽は、望郷チェコとともに、ニューヨークでの恵まれた生活、1892年9月音楽院長就任、93年12月カーネギーホール、新世界交響曲初演成功などを経験から生まれている。
 95年9月からプラハ音楽院長に復職している。その当時R・シュトラウスは、ティルオイレンシュピーゲルの愉快ないたずらを初演。1897年のブラームス葬儀にD氏は参加している。そのブラームスは「こういう協奏曲を書けることを知っていたら、自分でしてみたのだが・・・」と話していたという。R・Sはドン・キホーテ、アルトとチェロのための交響詩を97年に発表している。B氏は1887年10月にVnとVcの二重協奏曲ケルン初演していたから、シュトラウス一流のスパイスが効いている。いずれにしてもD氏は、伝統的なチェロ協奏曲を創作したといえる・・・