千曲万来余話その512~「シューマン幻想曲ハ長調、ロマン派先人Sへのオマージュをラローチャが・・・」

 お盆を過ぎてめっきり秋の気配、空を見上げると巻雲、ウロコ雲を目にする季節になった。ご先祖様に思いをいたし、今は亡き人々を偲ぶ習いには、生命の永続を願う営みとして歴史を振り返る気高い時間の過ごし方のような気がする。人には未来だけあるのではなくて、偉大な過去の上に成り立っているということを忘れてならないのだろうと思われる。
 おふくろの味、卵焼きなど盤友人の記憶では、砂糖味だ。子供の時分を振り返るとタップリ甘味の効いたのが卵焼き、すべての卵焼きと云うものは甘いものだとばかり思っていたのが、否、だし巻きだってあると気づかされたのは大学生のことだった。単に、卵焼きが甘いものだったのは我が家の味だったのである。世の中にはプレーンというものだってあったわけだ。ちなみに、白飯をソースで炒めて食することを経験したのは高校生の時で、ショック、衝撃的経験だった。柔道部で一年間、友達と生活したことは例えば、余市海岸の砂浜で夏休みに一週間合宿したとき、波打ち際が一変したことは、月との引力のなせる業という実感をしたものである。
 シューマンは、1810年6月8日ツヴィカウ生まれ、1856年7月29日エンデニヒ没、ドイツロマン派の大作曲家。文学と音楽の化学的反応により様々な作品を創作している。1828年、ライプツィヒ大学法科に進学し同時にピアニストを志すけれど、指の障害を経て演奏家の夢を断念する。作曲という無限の世界へ飛翔するも、評論家という二刀流でもあった。
 幻想曲ハ長調作品17、作曲年は1836~38年で楽譜出版は39年、フランツ・リストに献呈されている。3楽章形式、幻想的、情熱的にという開始から、中庸の速度という音楽を経過して、静かにという終結を迎える。最初クララ・ヴィークへと考えられていたものが、リストへと献呈者は変更された。
 曲は「大ソナタ」としてベートーヴェン的作品が構想されていた。徹頭徹尾、情熱的な音楽で開始されて、迎えた終曲は、しかしシューベルト即興曲を思わせる世界である。それは10年ほど前がシューベルト・ロスであって、ローベルト・シューマンにとっても決定的な青年作曲家へのオマージュであろう。この沈潜する音楽は、高揚した音楽がその泉としてうっそうと生い茂った浪漫の森の中へ遡る道へとたどる事になる。フランツ・ペーター・シューベルトは1797年1月31日ウィーンに生まれ、1828年11月19日同地31歳で没している。フランツ・リストは1811年10月22日ハンガリー・ライディングで生まれ、1886年7月31日バイロイト74歳で亡くなっている。
 つくづく人の一生というもの、長いもあり短いもあり、ひとつしかないものだと思わさる。
 アリシア・デ・ラローチャ、1923年5月23日バルセロナに生まれ、グラナドスの高弟フランク・マーシャルに子ども時代から師事している。来日は1967年を最初に、10回以上果たしている。スペイン音楽からスタンダードなものまで音楽の美と真実に、献身的な演奏活動を展開している。
 1975年デッカLP録音、サイド1はシューマンの幻想曲ハ長調でサイド2はリストの奏鳴曲ロ短調で、大変立派な脂の乗り切った演奏が記録されている。堂々とした構え、テンポの揺れはあまり感じさせることのない、スマートなスタイル。クール、ピアノという楽器の鳴りっぷりが充実していて、風格あるシューマンの世界を鑑賞することになる。健康的でということは、シューマンの肯定的な側面が基本で、前進的な精神が感じられる演奏になっている。これが、ピアノの旋律がピックアップされるとき、病的な印象を与えることがある。否定的ではなくまさにロマンティッシュ、永遠なる世界を印象づけることになる・・・