千曲万来余話その529~「ベートーヴェン、交響曲第2番、E・アンセルメ指揮型の功罪・・・」

 人は、よくものの見方としてレッテルを貼ることが多い。たとえば、指揮者エルネスト・アンセルメ1883.11/11ヴヴェイ出身~1963.2/20ジュネーブ没の指揮したレコードを選ぶ時、そのチョイスはフランス音楽かストラヴィンスキーのバレエ音楽など近代のものに傾きがち、つまりレッテルがものをいう。音色が多彩な管弦楽作品の大家として評価する。その彼の出身というと、ローザンヌ大学で数学と物理を専攻し学生オーケストラを指揮したりしていた。パリのソルボンヌ大学に留学、1905年から母校で教鞭をとる。09年にはベルリンでニキッシュやワインガルトナーの助言を求めて翌年にはモントルーで指揮者デビューを果たし、曲はベートーヴェンの第5番ハ短調交響曲だったという。ドビュッスィ、ラヴェル、ストラヴィンスキーらと親交を結び、15年からジュネーブ交響楽団の指揮者に就任、18年からスイス・ロマンド管弦楽団を創設、66年に辞任するまで約半世紀にわたり音楽監督をつとめていた。イギリス・デッカには彼が指揮した膨大なレコードが遺産としてある。
 ベートーヴェンの交響曲全集では1964年頃録音した第2番ニ長調を再生してみた。なんとも懐かしい、ほのぼのとした表情のベートーヴェンであろう。しっかりと造形された交響曲は、青春の輝き、ゆったりとしたテンポで演奏されてスイス・ロマンド管弦楽団のヴィルトゥオーゾ性満点の味わいは、近代管弦楽の極致で、聴く人を幸福感にいざなう妙味に溢れた音楽になっている。このように指摘すると、彼の原点がワインガルトナー指揮する近代趣味の音楽に有ることがよく分かる。というは、その対極としてフルトヴェングラーやクナッパーツブッシュが指揮する音楽というのは、テンポやディナミークの振れ幅の大きい表情の趣味とは、明らかに異なり、即物的な趣味といえるものだろう。これは、レッテルではなくて率直な感想であり、盤友人の知人なども、アンセルメの音楽を聴いて好意的な感想を寄せるものである。
 オーケストラ指揮者が交響曲を録音する時、ある決断を要請される。それはVn楽器配置の扱いだ。ウィルヘルム・フルトヴェングラーは1945年を境界として、以前は伝統型を採用しそれ以後は第一と第二Vnを揃える二十世紀多数派のタイプへとの変節していた。その結果コントラバスの配置は指揮者の左手側から右手側へと180度の転換が実現されたのである。
 その結果、第二楽章ラルゲット幅広く緩やかに、やや速くでは、伝統型では第一Vnの主旋律に対応して、第二Vnとアルトの伴奏的音楽という描き分け方が、無視されるという音楽になる。それはステージ上での左右感であり、アンセルメ指揮の楽器配置による現代多数派の録音では、右スピーカーからはチェロやコントラバスの第一拍担当の音楽が強調される。すなわち、音域として高音域のVnと低音域のコントラバスが左右に対比される音楽となる。それはあたかも、バウムクーヘンの輪切りのごとくに、左スピーカーからVn、右のスピーカーからは低音楽器が聞こえる音楽となる。盤友人は弦楽器のみならず、四声体合奏アンサンブルの効果的な配置は、指揮者の左手側にソプラノ、バスそして右手側にテノール、アルトという塩梅が具合良いのではあるまいか?という見立てである。左右の対比は、高低音対比ではなくて、第一と第二Vnの対比こそ音楽として味わい深いコントラストではあるまいか?というのがよって立つ趣味人である。アンセルメの音楽を鑑賞して味わう一方、クレンペラー指揮するVn両翼配置型のステレオ録音をこそより上位とランク付けるのだ。それをレッテルといわず、経験による音楽観といえるのだろう・・・