千曲万来余話その532~「L・ベリオ、ジェスティ1966トレブルリコーダーのソナタを美形ペトリが・・・」

 ルチァーノ・ベリオ1925.10/24伊国インペリオ、オネーリァ生まれ~2003.5/27ローマ没
 彼は41歳の時リコーダー独奏曲を発表、ミカーラ・ペトリ1958年コペンハーゲン出身が1976年にBBC録音したレコードを聴く。いわゆる前衛音楽、コンテンポラリー同時代音楽の旗手としてベリオは有名なのだけれど、ジェスティという作品名は、意味深い。身振り手振りというのはジェスチュアという言葉、ジェスティキュレイションは身振り手ぶりで話すことだ。リコーダーの演奏として、ミカーラは吹きながら声も出したり、指で楽器を叩いたり離したりして発音させる。何よりも重音奏法として、一つの音のポジションで倍音を鳴らし、多数の音を発声するなど、現代音楽の典型的なパターンの音楽になっている。
 このLPレコードは第1面に、ヤーコブ・ファン・アイク(17世紀)の変奏曲、パヴァーヌ・ラクリメ、ダリオ・カステルロ(17世紀)ソナタ・プリマ、ゲオルク・フィリップ・テレマン(1681~1767)ファンタズィア第8番ト短調、11番変ロ長調、第2面にテレマン、ソナタニ短調、アントン・エーベルレ(18世紀)、ソナタ・ブリランテ、そしてベリオのジェスティ。ハープシコード、母ハンネ、チェロ、弟ダヴィッド。
 日本音楽と西洋音楽の根本的な相違は、モノディー単声部音楽か、ポリフォニー多声部音楽かにある。日本人の感覚は、中国大陸からたとえば、笙という楽器が移入されたとき、音管の数を削減している。その感覚としては、単純化に向かう立場である。だから、主旋律に対して伴奏をつけるという感覚であり、ところが、イギリスなどでは、ビートルズの曲を思い浮かべると簡単なのだが、主旋律とハーモニー和声という相違である。盤友人が大学の音楽科をドッペつた時、予備校で現代国語教師は和音の和と言うことが理解できず、なんですかね?と言っていたことが懐かしく思い出される。すなわち、和という漢字の意味するところは、太郎君と花子さんが居た時、合わせるのが和音であって、ハーモニーなのである。たとえば同じ「ド」の音を発声しても基本的にオクターブ(八つの音)の違い高低差があり、この感覚は合唱の原点である。ちなみに、ボーイソプラノというのは、変声期前の少年の声であり、カストラートというのは、男性が女性の音域を歌唱する人の事をいう。
 ミカーラ・ペトリは1968年からヨーロッパで活動開始、ということは10歳でデビュウした天才少女といえる。日本では同じく、ヴァイオリンでいうと、渡辺茂夫という天才少年がいたけれど、立派な教師が居て才能が発揮されるというのは、いわずもがな。シゲオは、伯父の言を借りると既に四歳くらいでロングトーンを一日中取り組んでいたという。天才とは努力する才能である。だから、ミカーラにとって、1977年にリリースされたLPレコードは驚異的な技術を記録していて、ファン・アイクの作品が自家薬籠中のものになっている。
 ポリフォニー音楽とは、単旋律の他に、他の旋律を続けて2つの声部の音楽を同時のように吹奏する。これは、徹底的な訓練を経たうえで有るのは、そうなのだけれど、感覚として頭の中で、2種類の音楽を成立させている。このレコードはあたかも、17世紀の音楽から20世紀のヨーロッパ音楽を記録していて鑑賞できるという、貴重なレコード。正に誤解をおそれずにいうと17世紀の今と、20世紀の今を21世紀の現在、レコードを再生しているという時間藝術の鑑賞である。
 余談だが母、姉、弟という音楽一家の演奏は、その説明を忘れても価値あるLPレコードである。さらに美貌のミカーラとは、ジャケット写真で出会えることに・・・