千曲万来余話その537~「ベートーヴェン英雄、フルトヴェングラー指揮1944年の謎・・・」

 録音時のテープ速度とレコードカッティング速度と再生時の回転速度の定速化は、前提とする条件であり、指揮者による芸術鑑賞の上での必要条件だろう。1944年録音された英雄交響曲のレコードで事件は起きたのである。フルトヴェングラーはウラニア社のリリースしたLPの著作権を差し押さえた理由として、考えられる実際の一つである。皮肉ではあるのだがいわゆるウラニア盤のエロイカは名演奏として名高い。それなのに、海賊盤の汚名を着せられて葬り去られたのだが、現在でも高価ながら入手することは可能である。その事件は1953年、裁判で販売差し止め処分に発展した。
 ウィーン・フィルハーモニー演奏によるライブ録音1944.12/19-20は、1952.11/26-27録音のEMI正規録音と競合して、商品化されたのは52年盤の方だ。同じモノーラル録音ではあるのだが、演奏の質は明らかに差異が有る。それは、どこから来るのか?興味深いテーマではある。盤友人の判断は明快、弦楽器配置でのコントラバスとチェロ、第一Vnの距離である。44年盤はその音響が溶け合っているのに比較して、52年盤は明らかにセパレート分離している。つまり、前者は伝統型であるのに比べて、後者は距離感が介在していて、明確にタイムラグは微弱ではあるのだけれど、力強さこそ減衰しているのである。つまり分かり易くいえば、フルトヴェングラーは1946年の非ナチ化裁判を経験して否定されたのが伝統型配置、ヴァイオリン両翼配置による男性的な演奏スタイルなのである。第一ヴァイオリンのすぐ後ろにチェロとコントラバスが配置されることにより、テンポの緩急表現は容易になって、そういう演奏スタイルに入る。つまりこのコントロールの一定感にこだわりを見せたのがトスカニーニであり、フルトヴェングラーは円熟と共に、緩急の磨きを効かせたのがF氏の芸術なのである。すなわち、そこに破たんを見せないスリリングこそが、ライブ演奏の肝である。
 アナログ録音とデジタル録音の差異は、チェロとコントラバスのオクターブ表現に特化していて、顕著である。その倍音こそ、デジタル録音はアナログの下位に属する。だからオーディオの努力として、そこに注意を払うことこそ必要であろう。
 ロシア・メロディア社の復刻したLPレコードは、テープ速度が、カッティテング時と再生時の同期性を証明していてなんの遜色もない。ウラニア盤は、カッティング時の速度が半音ほど低いために、再生時は逆に半音高い現象が生じているのだ。そのためハイ上がりといって、印象は鮮明になり、音楽は別物になる。F氏はそこのところ理解していたのであろう。販売差し押さえ処分にしたものである。
 ウィーン・フィルは、緊張感高い演奏を発揮している。それは、大戦時のドイツ敗色濃いものによるものだと理解されていたのは事実である。その上にいえることは、弦楽器配置構造なのである。舞台両袖に配置されるヴァイオリン奏者は、高い緊張感の上で演奏に臨んでいる。すなわち、第一と第二のヴァイオリンのf字孔が揃えられることで、合奏は、より容易になり大戦後流布した配置となった。つまり、英雄交響曲は、緊張感が半減した演奏の一般化となったことだろう。1944年録音はメロディア盤によってこそ鑑賞されるべきであり、ウラニア盤は、半音ほどピッチが高い別物「英雄」として存在する。その上でフルトヴェングラー理解は必要であり、52年盤と比較する時、正当な評価が成立する。
 音楽が分かるというのは、気をつけるべき言葉であって、50分ほどの音楽鑑賞にたえるのはどちらか?アナログとデジタルの相違は明々白々・・・気がつくかどうか? その人生は、問われるのだろう・・・