千曲万来余話その550~「ベートーヴェン英雄交響曲、永遠緑のフリッチャイ・・・」

 太陽を中心にして初めて地動説が成り立つ。すなわち、地球は北極星を頭にして絶えず西から東方向へと自転する。さらに6/21日曜日は夏至であり、1日の昼が年間で最も長いのは、太陽に対して南北軸にあたる北極点がわずか傾いていることによる。ところが公転といって北斗七星を起点にするとよく分かるのだけれど、オリオン座は今頃夜に、目にすることはできない。太陽の周りを1年かけて回転していることによる。
 ロマン派の音楽とハイドン、モーツァルトら古典派は、シューベルトの存在を境にしてグラデーションの様に推移している。彼はベートーヴェンが太陽であっただろう。ピアノソナタや、弦楽四重奏曲はベートーヴェンの多大な影響の上に展開する。彼の作曲した600 余りの歌曲は、まさに詩との出会いでありそこのところが、ウィーン音楽の生命である。B氏は交響曲作家として成功している。ピアノトリオに始まり、ピアノソナタや弦楽四重奏など室内楽から作品20で七重奏曲、そして21で第1番交響曲を発表、第3番は作品55で34歳、1805年のことである。
 宇宙に轟けと言わんばかりの開始、和音が二つ管弦打楽でということは、ティンパニーもフォルテで奏される。アレグロ・コン・ブリオ快速で生き生きと、表情記号は指定している。この音楽は明らかに、会場の演奏者も聴衆も緊張感の真ん中に指揮者が存在することを、作曲者は企てたことなのだろう。ナポレオンの登場を喝采したベートーヴェンが居るのだが、第2楽章は葬送行進曲風に、演奏される音楽になっている。有名なエピソードとして、ボナパルトに献呈するはずが、総譜表紙で作曲者は、献呈辞をぐしゃぐしゃと多数の線で引きかき消している。つまり皇帝の独裁政展開に彼は愛想をつかしたと言われている。政治家を断罪するベートーヴェンが居る。確かに市民革命による封建社会の変革はベートーヴェンの望むところであったのだが、独裁政治へというナポレオンを、彼は許すことが出来なかった英雄交響曲である。
 山なりにつらなる旋律線メロディーは、単純明快な動機モティーフであり、第1楽章の変ホ長調から、ハ短調による葬送行進曲ふうにの音楽はその明暗逆転が劇的である。フェレンツ・カール・フリッチャイ1914.8/9ブダペスト生まれ1963.2/20バーゼル没が、初めてベルリン・フィルハーモニーに登場したのは1949年頃で、チャイコフスキーの5番を録音している。その当時の主な活動はベルリンRIAS交響楽団でその後多数の録音を残すことになる。1958年10月に英雄を録音、一時体調不良に陥り、胃腸手術に向かう直前のことである。
 モーツァルト録音を多数残しているフリッチャイはベルリンで活躍していたころ、フルトヴェングラーの再来とまで市民から厚い信頼を獲得していた。盤友人が彼の名前を最初に記憶したのは1970年のこと、グラモフォンの1100円レコードで、ベートーヴェンの「合唱」、ベルリン・フィルを指揮してディートリヒ・フィッシャー=ディースカウの名前が有ったことによる。その時分フルート奏者はオレール・ニコレだった。
 ともかく盤友人はフリッチャイの名前を目にしてはレコードを購入して、ハスキルとのモーツァルトピアノ協奏曲19番ヘ長調K459、1955年録音を入手したときは天上の音楽を満喫、この英雄交響曲もステレオ録音でありながら、ステレオテイクモノーラルLPレコードまで手に入れた。その味わいは、オーケストラの旋律の受け渡しがとても味わい深く、たとえば、葬送行進曲でもオーボエ独奏が、入るタイミングなどで、ぐんぐんと聴くものに迫る緊張感は、ぐっと来る。音楽の全体がサクサクと進み、なおかつ前のめりにならない足取り軽快で、そのじつ演奏者全員の足並みがピタリそろっているのは、並々ならない指揮者への敬意をふつふつと感じさせる貴重無二のレコードに仕上がっているといえる・・・

※ハインツ・ホリガーは「オレール」と発音しておりました。