千曲万来余話その565~「バッハ無伴奏Vnソナタ第3番、3人のモノラル録音時代の名演・・・ 」

 10/6火曜日はあいにくの雨天で、東京23度札幌13度という気温。夜9時ころ東方の空では二十日あまりの月、南の中空には雲間に火星が見えた。地球に準大接近、といっても6207万0493Kmだからその感覚は、月が地球までの平均距離384.399Km…雲をつかむより、さらに遠いことは確かな話だろう。家の外では薄紅の秋桜が美しい季節。
  ヨゼフ・シゲティ1892.9/5ブダペスト~1973.2/19ルツェルン没、彼はグァルネリ愛用家でフバーイに師事している。
 ヤッシャ・ハイフェッツ1901.2/2ウィルナ旧ポーランド領~1987.12/10ロスアンゼルス没、H氏はグァルネリからストラディバリウスへの二刀流
 ナタン・ミルシュテイン1904.12/31オデッサ~1992.12/21ロンドン没、彼はストラディバリウス愛用家。ロシア人の二人は、同じアウアー門下生ながらH氏アメリカへ移住して活躍の場を定めたのに対して、M氏は同じくアメリカでも活躍するが、最後までヨーロッパでの活動を続けていたという立場の違いがあった。
 ヨハン・セヴァスティアン・バッハ1685.3/21アイゼナッハ生~1750.7/28ライプツィヒ没は、無伴奏Vnソナタと、パルティータを三曲ずつ、BWVバッハ作品番号1001~1006まで作曲している。1703年に彼はワイマールでVn奏者として宮廷楽団に就職している。最初の細君はマリア・バルバラ1684~1720、フリーデマン・バッハ1710~84(ハレ)は長男で、次男はカール・フィリップ・エマヌエル・バッハ1714~88(ベルリンとハンブルク)、ヨハン・ゴットフリート・ベルンハルト・バッハ1715~39(ミュールフェルト)は三男。バルバラ死去の時期1720年頃に無伴奏ソナタ、パルティータは作曲されている。後妻のアンナ・マグダレーナ1701~60の子どもとして、ヨハン・クリストフ・フリードリヒ・バッハ1732~95(ビュッケブルク)、ヨハン・クリスティアン・バッハ1735~82(ミラノとロンドン)は末子で有名な音楽家に成長。アンナ・マクダレーナは16歳年下ながら、セヴァスティアンとの間に13人の子どもをもうけたと伝えられる。ものの本には、夫の作品を写譜、清書し筆跡はバッハ自身のものと間違えるほど似ているとある。
 ソナタ第3番ハ長調の4つの楽章は楽器の音響の特性を発揮させ、オーディオのチェックに最適と盤友人は考えている。一つの音を長くのばして装飾的なつながりを重音奏法という、きわめて高度な技術を要求されている。ハイフェッツの1953年10月録音は、その点、わりと短めの印象を受けるし、それは、その後のシゲティ1959年6月~60年4月録音の結果として長めのたっぷり鳴らす音楽に比較して遜色が感じられる。H氏はどちらかというと、技巧の上に音楽を演奏しているのに対してS氏は技巧を露わにしながら、隈取深い縄文の文様のような印象を受ける。楽器は輝かしい音色で、S氏の録音はハンディがあるものの、この音盤から楽器の豊かな音響を引き出せたときに、醍醐味は充分である。すなわち「音色はキタナイ」という感想は、オーディオ機器のグレードアップ余地のある話だろう。ミルシュテインは1950年代にモノーラル録音で滑らかな音楽性と、高度な技術を記録し1973年にはステレオ再録音を残している。
 音蔵社長KT氏は「美しいご婦人が通り過ぎて、後に香水の香りがするのは余韻、向かい合ってする香水の香りは倍音」と説明していたものである。すなわち、楽器の音というものは、楽音と倍音の織り成す音楽なのであって、単なる「音」という認識では、オーディオという世界を知らないまでであろう。お金をかけないのも喜びなのだろうけども、お金を支払いして得られるのがヴィンテージの世界。同じお金をかけることで到達する高みは、お金を支払う人には分かる世界なのである。それは、バッハの作品をどのように描くかという芸術家、懸命の世界と同じなのだろう・・・