千曲万来余話その572~「マーラー交響曲第5番をクーベリク指揮という理想形・・・」

 オーディオというもので再生する音楽はたぶん、演奏家の目指す作曲家のメッセージをいかに味わえるかということが肝要となるだろう。つまりそこに、スピーカーとか、指揮者やオーケストラ奏者の技術を超えて、この音楽を楽しむことが目標である。そんな意味で、ラジオカセットで聴いても、ステレオで聴いてもどれだけ音楽の醍醐味を味わえるかなのである。だから装置は、他人に自慢するものではなくて、本人がどれだけ納得できるだけ追究するかのもので果てしがない。日々新たしというか、音楽を味わう目的を失うべからずということであろう。そんな意味で、アナログの一つのピークの段階に到達した。プリアンプその前段の昇圧トランスの後にイコライザーアンプをセットできた。フォノイコライザーを、トランス、真空管E80CCという出力管装備で格の違いを経験することになった。
 札幌の交響楽団定期公演でマーラー、交響曲第5番嬰ハ短調を聴いた。指揮者は弦楽の古典配置を採用して舞台奥一列にコントラバスを並べるという設定、舞台下手にはハープ、ホルン、中央にトランペット、トロンボーン、チューバ、舞台上手にティンパニ、大太鼓、小太鼓、シンバル、タムタム、鉄琴を揃えていた。木管楽器はほぼ3管編成。印象的だったのは、指揮者が的確な指示、正確なキュー、好ましいテンポ感、安定感に満ちたマナーで団員からは確固たる支持を獲得していた。舞台中央にチェロ、アルト、Vnダブルウィングという配置は、作曲の妙味が一段と増して鑑賞できることになる。
 グスタフ・マーラー1860.7/7プラハとウィーンの中間にあるカリシュト生まれ~1911.5/18ウィーン没、1897.5/1ウィーン宮廷歌劇場管弦楽団指揮者に就任、この年にはローマカトリックに改宗、オペラを指揮するなどの活動をしている。交響曲第1番巨人は1889.11/20にブダペストで初演、第5番は1904.10/18ケルン、作曲者自身の指揮で初演されている。1902.3/9アルマ・シントラーと結婚、出会い後ほぼ5か月足らずのことだった。その11月には長女マリア・アンナ誕生、1907.7/5病死、その12/7にはウィーンの国立歌劇場と決別するなど、波乱が続き辞表受理は12/31になる。第5番は、第1部が第一と第二楽章、第二部が第3楽章スケルツォ、第4楽章アダージェット弦楽5部、ハープと第5楽章は第3部という感覚になる。初演年は
 第1番ニ長調巨人、ブダペスト1889.11/20、
 第2番ハ短調復活、ベルリン1895.12/13、
 第3番ニ短調夏の朝の夢、クレフェルト1902.6/9、
 第4番ト長調大いなる喜びへの讃歌、ミュンヘン1901.11/25、
 第5番嬰ハ短調、ケルン1904.10/18、
 第6番イ短調悲劇的、エッセン1906.5/27、
 第7番ホ短調夜の歌、プラハ1908.9/19、
 第8番変ホ長調千人の交響曲、ミュンヘン1910.9/12、
 大地の歌、ミュンヘン1911.11/20、
 第9番ニ長調(1910.4完成)、ウィーン1912.6/26、
 第10番嬰ヘ長調アダージォ(未完成)、ウィーン1924.10。
 ラファエル・クーベリク指揮バイエルン放送交響楽団1981.6/12ライヴ録音を聴く。スピーカー右側から独奏トランペット、トロンボーンなどが定位する。中央はティンパニーなど打楽器、スピーカー左側にはヴァイオリン、チェロ、コントラバスそしてハーブ。右側に第2Vnとアルト=ヴィオラという和音ハーモニーの内声部が明快に演奏されている。
 ステレオ録音を考えた時、左スピーカーにヴァイオリンという時代が大多数を形成している中で、ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートを見ていると1987年ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮から古典配置が復活している。
 すなわち、高音と低音の分離という時代から古典的な第1と第2Vnの分離こそ最上のステレオ録音なのだろう・・・