千曲万来余話その605~「ブラームス曲ピアノ三重奏曲第1番、ステレオ録音の王道として・・・」

 スピーカーが2台あるのは、昔の蓄音機がラッパ1つの時代から進化してステレオ録音の再生可能という歴史上の発展がある。盤友人の父親は、林業関係事務職の公務員を退職して38年余り囲碁の趣味世界に生きた。それでも昭和33年頃ソニーの録音機を購入したり、ラジオは松下電器の5球スーパーの仕様であったり、真空管の音に親しみを感じる盤友人が少年時代、経験する恩恵にあずかっていた。5「球」というのは「真空管」5本を意味する。そんな父親もスピーカーが2台あって左右から異なる音が出る仕組みを理解していたか疑わしい。確認したものでもないが、スピーカーからは1つの音しか認識していなかったと思われる節がある。ステレオ録音とは、「定位」といって、左右の2つの音と、中央の主要な定位とから構成感が派生する。何を隠そう、オーディオで中央にアンプ類を積み上げる御仁は、その感覚に乏しい輩であろう。「中央」のプレゼンスが把握できていないのである。
 ヨハネス・ブラームス1833.5/7ハンブルク生まれ~97.4/3午前8:30ウィーン没、この時期の日本では坂本龍馬1835~67の活躍とパラレルである。1853年頃にはロベルト・シューマン1810~56との出会いが経験されている。シューマンは作曲、演奏、評論と当時の音楽界では隆盛を極めていたものの、ライン川への投身体験など精神的に病弱、まさにロマン派の音楽を体現する存在としてブラームスの音楽のよって立つ理想であった。ただし、彼は擬古典派ともいわれるがごとく古典派形式を墨守する作曲家として活動していた。特にシューマン夫人のクララとの出会いにより、作品8のピアノトリオ第1番ロ長調1854年完成などは、ロマン派としての真骨頂といえる作品である。
 ピアノとヴァイオリン、チェロという室内楽は市民の音楽として、ベートーヴェンの芸術を継承する。その源はヨハン・セヴァスティアン・バッハの音楽にある。チェロというのは通奏低音としてあってVnとチェンバロの音楽は未来ロマン派音楽に系列する。彼らはドイツ3大Bという呼称を獲得している。ブルックナー愛好家は、ブラームスの替りに3大Bを呼称するものだが、交響曲のみならず、協奏曲、室内楽、器楽曲、歌曲などあらゆるジャンルに作曲したブラームスの偉大な芸術は「ドイツ3大B」の本命とこそいえるのだろう。
 1968年頃デッカ録音になるVnはヨゼフ・スーク39歳、チェロはヤーノシュ・シュタルケル44歳、ピアニストはジュリアス・カッチュン42歳という生命力の横溢する演奏は屈指の名盤。第1楽章アレグロ・コン・ブリオ快速で勇気をもって、提示部、展開部、再現部、終結部というソナタ形式に準じ提示部の再現で終結するという形式観、ピアノ独奏で開始し第2楽章はスケルツォ、アレグロモルト、充分に快速でかつ-やや快速で、というのは、チェロ独奏で開始する。ピアノが応答してVnがそれに続く。ピアノの「定位」は中央、左にVnで右にチェロというのは、ステレオ録音の王道といえる。このスタイルはあまねく、常識化して現代の室内楽の規範、演奏家たちは何も考えずに無意識で選択するステレオ観といえる。三重奏というと前提となる配置なのであるのだが、第3楽章アダージォ幅広く緩やかに、この楽章に来て果たしてこの配置が最上なものか?盤友人は疑問を呈する。すなわち、ベートーヴェンの三重協奏曲の項で指摘したピアノの右スピーカー配置を提案する。すなわち「中央」の定位はチェロが最適であろうと思われる。ピアニストのアイン・ガング開始演奏、チェロと合わせる時にはピアニストの左肩奥にアイコンタクトを気を付けると成立するまでである。何故この提案をするのかというと、左側下手にVnと中央にチェロという弦楽器、右側上手にピアノというのは黄金の配置だといえるから。ピアノの演奏が弦楽にマスクされるのを回避される。
 第4楽章はアレグロ快い速さで一気に翔け抜ける・・・