千曲万来余話その609「マーラー、夏の朝の夢、RK氏指揮かJH氏指揮か・・・」

 テレヴィから広告放送のとあるメロディーが流れ、北海道民には耳なじみになっている。それを或る人はファミレドとスタッカート風に口ずさむのだが、盤友人にはソ♯ファミレの様に聞き取る。どういうことかというと、彼の感覚は「移動ド」の受け止めになっている。つまり、旋律には「固定ド」の感覚もあり、学生時代ソルフェージュの授業で両方の訓練を経験していて、おしまいの主音が「ド」でも音感としてはそれが「レ」の音程に聞き取れる。これが「固定ド」の感覚である。「ソファミレ」の「ファ」が黒鍵でニ長調でいうと「ファミレド」という音感になる。ここは、訓練をとおした両方の経験が、音楽鑑賞の役に立つといえるかもしれない。
 グスタフ・マーラー 1860.7/7カリシュト(ボヘミア)~1911.5/18ウィーン没は、生涯に9曲番号付き交響曲と「大地の歌」を残している。単1楽章第10番「アダージォ」を作曲し残し、デリック・クック版による4楽章補完作品もある。1番巨人(タイタン)、2番復活、3番夏の朝の夢、4番大いなる喜びへの讃歌、6番悲劇的、7番夜の歌、8番千人の交響曲など、標題も積極的に採用している。
 第3番ニ短調は1896.8/6にシュタインバッハにて完成している。8本ホルンの斉奏ユニゾンで、力強く厳然とファンファーレとして吹奏される。この音楽は長大な第1楽章の終結部に再現されて印象的になっている。第2楽章草原で花が私に話しかける。第3楽章青年時代からの歌、夏の終わり。第4楽章コントラルト(アルト)独唱、非常にゆっくりと神秘的に、ニーチェ作ツァラトゥストラ~夜の歌。第5楽章少年合唱と女声合唱が加わり、活発に、表現は大胆に、ここではVn部が休止している。第6楽章ゆるやかに、安らかに、感情こめてアダージォ楽章荘重で、敬虔な祈りの歌。この終楽章の終結は、ベートーヴェンが「運命」で作曲している単一和音の連続にも勝るとも劣らない工夫がなされていて、念を入れた「終止」に作曲されている。この交響曲は、1曲だけでの演奏会という意図が、受け止められる。「人が音楽するというのは、感じ、考え、呼吸し、悩む人間そのもの」という前提の上で、マーラー36歳の作品。
 オーディオは趣味の世界であり、費用対効果で、ステレオ昇圧トランスのグレードアップを果たす。札幌音蔵KT社長の努力でヴィンテージもの、「JS41」の出会いが実現された。以前の英国製も極上品「パートリジ」であったのだが、デンマーク製品とスイッチすることになる。力強い低音域、押し出しの有る中音域、情報の豊かな高音域、バランスの良い再生音は、カートリジ・ノイマン社製品との相性が抜群である。
 1967.4/20録音、ラファエル・クーベリク1914.6/29ビホリー生まれ~1996.8/11プラハ没、指揮バイエルン放送交響楽団、合唱団、マージョリー・トーマスAlt、テルツ少年合唱団、ヘラクレスザール。弦楽部は古典配置、舞台両袖にはVnが配置されて中央にはチェロ、アルト(ヴィオラ)ホルンは舞台上手配置、コントラバスは下手配置になる。伝統型の両翼配置は、昇圧トランスJS41を採用してから、以前に増して右スピーカーからの第2ヴァイオリンが雄弁で、左右のスピーカーからあたかも、漢字の「人」の如く、支え合いがあり、指揮者の強い意志が伝わる。
 ヤッシャ・ホーレンシュタイン1898.5/6キエフ生~1973.4/2ロンドン没は1970.7/27-29ロンドン交響楽団、アンブロージアンシンガーズ、ワンズワース学校少年合唱団ALTノーマ・プロクター、リーダーはジョーン・ジョージアディス、トロンボーンはデニス・ウィック、フリューゲル・ホーンはウイリアム・ラング等により録音、開始ファンファーレが左スピーカーから悠然と吹奏される。コントラバスとチェロが右スピーカー側に居ることによる。当時のステレオ録音として右側低音配置となる。風格のあるホーレンシュタイン指揮による演奏、左スピーカーに第1と第2Vnというのは、いかにも「新しい」録音でありつつ現代の両翼配置復古の時代から見ると「時代」を感じさせるものだろう・・・