千曲万来余話その611「ストラヴィンスキー曲「結婚」、2人の指揮者の味わい・・・」

 朝早く起きて、生きがいを持ち、運動をこなして、栄養をとり、お洒落をする、これ100歳を生きる秘訣の「あいうえお」という。人生を長く生きるかどうかは人それぞれであり、ひとつの命を大切にするこそ本当なのだと思われる。夕方から東南の空にはジュピター、木星が一際輝く季節で宵闇迫る。
 ブーレーズ1925.3/26~2016.1/5は1965年にコンサート・ホール盤、バーンスタイン1918.8/25~1990.10/14は、ストラヴィンスキー1882.6/18ペテルブルグ近郊オラニェンバウム生れ~1971.4/6ニューヨーク・マンハッタン没、作曲の舞踊カンタータ「結婚」を1977年にドイツ・グラモフォン盤録音をしている。
 この曲は4台のピアノ、打楽器群、独唱4人、合唱4声部という編成によるバレエ音楽。1912年頃から構想を始め1914年から作曲し、1923年6月に初演されている。初演指揮者はエルネスト・アンセルメ。楽譜は1917年版、1923年版などがある。楽器編成は、4台のピアノ、ザイロフォン、4対のティンパニ、(2対hとCisのクロタル「アンティークシンバル」、鐘ベル、大太鼓、小太鼓スネア有りと無し、タンバリン、トライアングル)という打楽器群、独唱(ソプラノ、メゾソプラノ、テノール、バス)、合唱混声4部。バーンスタイン盤の裏面ジャケット写真では2台対面するグランド・ピアノを舞台下手に縦列させて、上手には打楽器群と前列に独唱者たち、後列に混声合唱S・T・B・Aという具合。写真というものは著作権の関係もあり、指揮者のアップだけのものが多い。しかし、演奏者がどのように配置されたかという全体風景は、指揮者の構想による雄弁有益な資料である。
 ピアノスコア版が完成したのは1917年、楽器編成の確定は1923年のこと、楽曲のイメージは、明らかに原始主義バーバリズムで、頂点の作品バレエ音楽春の祭典は、バレエ結婚の以前1913年にパリ初演されている。ちなみに、「ペトルーシュカ」は1911年、「火の鳥」1910年に初演されていた。組曲「プルネチルラ」は1919年作品でこの時から新古典主義的作曲を見せていた。転換点は1923年で、なおバレエ音楽はテレヴィのための「ノアの洪水」1962年作曲まで意欲的作品が続いている。彼は故国の革命に無関心の態度を貫いて、パリ(1910年)、ニューヨーク(1940年渡米)へと戦火によって創作を妨げられることを好まずに、作曲に専念して社会的活動を排していた。米国では指揮活動にも意欲をもった。
  楽曲は2部で4場面から構成され、1部3場面「おさげ髪」「花嫁の家」「花嫁の出発」、2部第4場面は「結婚の祝宴」となっている。第1場は、花嫁ナスターシャが結婚式のためにお下げ髪を結う場面、母親と付き添いの娘たちが花嫁の髪を2つに分けて長く編んでたらし、赤や青のリボンで結ぶ。結婚を示すロシア農民の宗教的風習、花嫁は泣き、皆はなぐさめるように歌う。第2場は友人たちがやってきて花婿の髪に油を付け、彼らは花婿の両親に祝いを述べる。両親の祝福をうける花婿。第3場、豊穣の神聖者コスモとデミアンへの祈願が唱えられる。第2部第4場は祝宴で酒が回り客人の中から、1組の夫婦が新婚のベッドを暖める役として依頼され、新婚の2人はエスコートされて寝室へと消える。ドアは閉じられ、2組の両親はさわぐ客たちに向かい座り、やがて、寝室の中から歓喜の歌が聞こえてくる。
 ブーレーズ盤はリズム感に満ち溢れ、ロシア語の抑揚が印象的、ピアノ(ジェヌヴィエヴ・ジヨワたち)の音色もフランス風で24分余り、一気呵成に聴かせる。バーンスタイン盤は、ピアニスト(マルタ・アルヘリチたち)の華やかな音色でリズミカル。終幕の鐘は15回の打音の中で鐘とピアノのユニゾンなどにより倍音を聴かせる。やがて、静寂に包まれる。作曲者はディアギレフに対して、献呈というよりプレゼントという・・・