千曲万来余話その617「モーツァルト第27番P協奏曲変ロ長調K595、グルダというウィーン正統派の花園・・・」

 人生の秋にふさわしい、モーツァルト晩年の1791年1月5日に完成した最後のピアノ協奏曲、その3月3日にモーツァルトは演奏家として聴衆に姿を見せたお仕舞いの演奏となる。当時彼は生活の困窮にあり決して恵まれた境遇にはなかったのだが、正反対の音楽、どこまでも澄み切った明るささえたたえたピアノ音楽という奇蹟だろう。第1楽章の変ロ長調は落ち着いた開始から渋さまで感じさせる音調であり、フルートは1本だけでオーボエそしてファゴットにホルンという二管編成、弦楽5部という管弦楽は、実に考え抜かれたものである。ティンパニが無いということは、決して偶然ではなく、音楽の刻みをヴィオラ=アルトと第2Vnが受け持っている。これは正に弦楽器配置の妙であって、ヴァイオリン両翼配置の決定的ポイント要因である。
 1972.11/29デッセルトルフにて、連邦大統領夫妻ヒルデ・ハイネマン夫人御前演奏会、指揮者ルドルフ・ケンペによるミュンヘン・フィルハーモニカー、独奏者はフリードリヒ・グルダ1930.5/16~2000.1/27ウィーンに生まれ、オーストリア(アッターゼー湖畔)ヴァイセンバッハ自宅で死去。彼はベートーヴェンソナタ全集を2回ほどデッカ盤とアマデオ盤で録音、使用ピアノを前者はベーゼンドルファー、後者はスタインウエイにより完成される。デッカ盤全集はバックハウス演奏との競合により陽の目を見ずに数曲だけリリースされた経緯がある。なお後年のジャズ演奏はチックコリアとの交流が有り実現されている。「即興演奏といっても、その場しのぎではなくて、長い積み重ねの上にある」という発言があるのは、なにもジャズの事ばかりではなく、モーツァルト演奏でも装飾音の演奏一つにもいえることなのだろう。彼のディスコグラフィーでは、バッハの「平均律クラヴィーア」全集からドビュッスィの「前奏曲」全集にいたるまで幅広く、晩年は自宅スタジオでシューベルトが録音されたといわれている。
 デュッセルドルフ祝賀演奏会で、グルダのモーツァルト演奏は脱力系のスタイルという印象を与える。決してフォルテ、フォルティッシモを強調することなしに、第3楽章の開始など、メゾピアノ、メゾフォルテで演奏していてフォルテで演奏したかと思うと、すぐに声を潜めるかの如くピアノでフレーズを演奏するなど変幻自在、ダイナミックスを克明に表現していて、始めはフォルテで演奏していたVn奏者達もロンドの主題をメゾピアノにまで音量を独奏者に落とすなどグルダの精神力はオーケストラ奏者を支配するがごとく独奏しているといえるだろう。
 ジャケット写真に気を付けると、ベーゼンドルファーのクレジットが明記された楽器に向かうグルダの一葉がある。その楽器が使用されたかどうかは不明なのだが、レコードのピアノはベーゼンドルファーの音色、みやびやかで支えとなる低音の伸びやかな音色、厚みある左手の音色や軽快な右手のタッチは、いかにもウィーン製の「ベーゼンドルファー」と確認できる悦びは何にも代えられないものである。この楽器の音色は、50年代60年代主流派のLPレコードでは耳になじんでいる。
 指揮者ケンペ1910.6/14~1976.5/11はドレスデン近郊ニーターポイリッツ生れチューリヒの病院にて帰天しミュンヘンの丘に眠っている。彼の指揮では長い指揮棒を使用していた。EMI録音では、ほとんどが、第1と第2ヴァイオリンを揃える配置を採用している。それは、録音スタッフ側の明確な要請のことだろうと推察される。録音のコンセプトとして 左スピーカーから高音部、右スピーカーから低音部という素人にも良く分かるステレオ録音の配置となる。ここでのMPSレコーズBASF2921770-1ライヴ録音、右スピーカーではアルトと第2ヴァイオリンの演奏する天国の花園に遊ぶが如きだろう・・・