千曲万来余話その634「B氏英雄交響曲、古典派的解釈の時代・・・」

 オーケストラ音楽で市民のために作曲される扉を開いたのは、ベートーヴェンにあたるという指摘は、何をいまさらというむきもあろう。ハイドン、モーツァルトという古典派を超える作曲家がB氏だろう。「エロイカ」というイタリア語は、エロイコ勇ましい、英雄的なという意味で英語でいうと「ヒロイック」に相当する。当時、市民革命のただ中にいて、ナポレオンはB氏にとって英雄的存在であった。ところが、この第2楽章は「英雄の死」葬送行進曲風にであって、独裁者との訣別を意味している。作品55の第4楽章は15の変奏曲とフーガ変ホ長調作品35作曲1802年。主題は1975年作曲12のドイツ舞曲集第7曲で、1800年バレエ音楽プロメテウスの創造物に転用され、1804年完成の第4楽章に採用された。
 ドーミドーソドミソドーソという第1楽章の主題旋律、これだけをとらえると、メロディーメーカーという印象とはかけ離れているのだが、それにより、彼はメロディーメーカーではないという烙印は、軽率な判断であってこれは、彼の狙いが和音の旋律化という作戦であり、徹底的な和音を前面に打ち出す作曲だろう。この交響曲では、第2楽章の独奏オーボエなど、メロディーメーカーの面目を遺憾なく発揮している。つまり、この対比こそがB氏の本領発揮といえる。ただ、第1楽章終結に入るトランペットのドミソソーという音型は、楽譜のロマン派風改作といえる。原曲は木管楽器で演奏されている八分音符の刻みに入るのが、古典派的解釈といえるだろう。2/17札幌hitaruホールの演奏会で、若い指揮者は、その解釈を指示していた。
 オアゾリール1985年8月ウオルサムストー・アセンブリーホール録音盤、古楽アカデミー管弦楽団、指揮者クリストファー・ホグウッド1941.9/10~2014.9/24。古楽器使用で、ダブルベースも2人の編成になる。現代のフル編成では7人になるから、AAMは小規模編成のオーケストラ。ここで、古楽器使用の意味するところは、かぎりなく作曲者の時代の音楽に迫ろうとするコンセプトである。だから、聴いてすぐ分かることは、第1と第2ヴァイオリンを分離セパレートして楽器配置していることである。つまり「ヴァイオリン・ダブル・ウイング」の実際である。
 作品35のエロイカの主題による変奏曲は、ピアノ独奏曲であり、交響曲第4楽章は管弦楽演奏の施しが成されている。ヴァイオリンが第1と第2描き分けられているのは想像するに作曲家の確固たる管弦楽法の実際であって、ここでの、ホグウッドの解釈はそこに焦点化した楽器配置といえるのだろう。このVn両翼配置を実践していた巨匠は、オットー・クレンペラー、ピエール・モントゥー、ラファエル・クーベリックというビッグネイム。ここで、両翼配置が避けられて第1と第2ヴァイオリンを揃える配置は、「音は聞こえれば良く、配置は意味ない」というモノラル的発想による。この時代にアンチテーゼとして、クリストファー・ホグウッドのステレオ録音盤の意義は、時代の予見であって、この同年代にジェームズ・レヴァインはウィーンフィルハーモニー管弦楽団を指揮してモーツァルトの交響曲全集をステレオ録音化している。1987年カラヤンはニューイヤーコンサートで両翼配置を復活させて、今年の2022年はダニエル・バレンボイムが両翼配置で指揮しているスタイル。つまり、オーケストラのステレオ録音では、第1と第2ヴァイオリンを両翼配置することが時代のムーブメントになっているということなのだろう。
 ショパンは作品35ピアノソナタ第2番で葬送行進曲を採用、第3番ソナタ作品番号58というのは、考えてみるとB氏作品57でもって第23番「アパッショナート熱情」を発表、ショパンは58で「大ソナタ」を創作したというのは・・・・・