千曲万来余話その638「四季ヴィヴァルディ曲アバド指揮クレーメルが・・・」

 近所の土手ではフキノトウの蕾が顔を見せている。札幌も春が近い。クラウディオ・アバド1933.6/26ミラノ生~2014.1/20ボローニャ没ウィーン音楽院でハンス・スワロフスキーに師事、1960年スカラ座ガラ・コンサート指揮者デビュウを果たしている。58年クーセヴィツキー、63年ミトロプーロス国際指揮者コンクールで2つともグランプリ獲得、63年次席はズデニェク・コシュラーだった。65年ザルツブルグ音楽祭にてウィーン・フィルを指揮して絶賛を博している。86年にはウィーン国立歌劇場音楽監督に就任、1991年辞任、カラヤンの後任として1990年からベルリン・フィル芸術監督として2002年まで在任、2000年に胃がん、2003年以降ルツェルン祝祭管弦楽団、若手中心のマーラー室内管弦楽団、モーツァルト管弦楽団などと多彩な活動を記録している。
 ギドン・クレーメル1947.2/27ラトヴィア出身でバルト3国は独立と併合の歴史があり、1990年ソヴィエト連邦から独立している。クレーメルはリガ生れだが65年にモスクワ音楽院に入学、67年エリザベト妃国際音楽祭コンクール3位入賞、69年パガニーニ国際と70年チャイコフスキー国際音楽コンクールでグランプリを獲得、75年10月西独アンスバッハで初のコンサート開催、デビュウを飾る。同年6月には来日公演でレオニード・コーガンの代役を務めていた。11月にはアンドレ・プレヴィン指揮でロンドンSOとブラームスのVn協奏曲、76年3月にはカラヤンが指名した独奏者とてベルリン・フィルとEMI録音を果たすなど順調な活動を展開した。同年7月ザルツブルグ音楽祭にデビュウ、カラヤン指揮ウィーン・フィルとバッハの協奏曲2番を演奏、リサイタルでも凝ったプログラム、シェーンベルクやシュニトケ作品を披露して大成功を収めている。77年ニューヨーク進出、80年には西ドイツに亡命、使用楽器は、1641年製ニコラ・アマティ、1730年製ガルネリ・デル・ジェス「エクス・ダヴィド」など。
 1981年コピーライトのドイツグラムフォン盤アバド指揮ロンドン交響楽団演奏するヴィヴァルディ作曲和声法とインヴェンションの試み、「四季」を聴く。インヴェンツィオーネというイタリア語、辞書を引くと発明、発明品とある。インヴェンターレというのは発明する、構成するなど。ヨハン・セヴァスティアン・バッハなどの作品でインヴェンションとは、小品など「着想した」というニュアンスがある。ちょっとした作品、とも言い換えられるかもしれない。アントニオ・ヴィヴァルディ1678頃ヴェネツィア生~1741.7/28埋葬ウィーン、作品8の1-4「四季」は1720年頃の作曲になる。日本では、バロック音楽の代表的作品として有名、イムジチ合奏団、フェリックス・アーヨ独奏のものがフィリップス盤空前のベストセラーを記録している。
 指揮者アバドは、チャイコフスキーやマーラーなど大編成管弦楽の音楽を得意としていて、その彼が、どのようなバロック音楽を聞かせてくれるのか大いに興味あるレコードである。特に通奏低音を担当するレスリー・パーソンはチェンバロとオルガンを担当、つまり、楽器を使い分けている。オルガンは「ポジティフ」といって可搬式の小型オルガン、オーディオ装置の性能を問われるレコードで、このオルガンがどこで活躍するか ? ジャケットには記載されていない。これは、聴いてのお愉しみ、敢えて盤友人は詳述をさけるが、音色を愉しむ格好のディスクであることは、間違いない。ひとつ、問題点を指摘するならば、解釈の問題として、「冬」の第2楽章ラルゴを2倍に速いテンポを採用していた。弦楽アンサンブルが、ネオロマン主義の演奏に近くてさもありなん、という帰結ではあるのだが、評価の分かれるところ、がっかりさせられるより、思わずニヤリ・・・