千曲万来余話その662「モーツァルト弦楽五重奏曲ニ長調、それもそうなんだけど… 」

 7火曜日はウォームムーン、啓蟄の候の満月夜。月と地球と太陽が一列になると万有引力により地上にはテンションが加わる。オーディオライフには有りがたい。
 M氏の弦楽五重奏曲は6曲。Kケッヘル番号593は二長調で1790年12月頃の作曲とされる。ヴァイオリンとヴィオラそれぞれ2挺、そしてチェロ。当時プロシャ王はチェロ奏者でもあるフリードリヒ・ウィルへルム2世、弦楽四重奏曲3曲が献呈されK575ニ長調、K589変ロ長調、K590ヘ長調。弦楽五重奏曲ニ長調は冒頭がチェロの演奏で始まる。
 第1楽章、ラルゲット、アレグロ快速で、第2楽章アダージォ幅広く緩やかに、第3楽章メヌエット、アレグレットやや快速で、第4楽章終曲アレグロ。最近、手にしたレコードはウエストミンスター盤でバリリ四重奏団とアルトにウィルヘルム・ヒューブナー。歌謡性がしなやか、優雅、愉悦感にあふれた名演奏の記録、エヴァーグリーンといえる。フィリップス盤、1975年頃録音グリュミオー・トリオ、アルパード・ゲレッツVn、マックス・レスールVla。
 ステレオ録音というものは、定位といって中央と左右感その上に奥行きがある。意外だったことは、開始のチェロ独奏が右スピーカーから聞こえた時のこと、モノラル録音ではその感覚はなく、中央から聞こえていたものだったから、ステレオレコード再生では、不意の感覚であった。ステージでは舞台が見えているものだからその意外性は派生しない。そこで弦楽五重奏の配置を考えるのだが、以前下手配置にヴァイオリン、中央にチェロ、上手にヴィオラというものが想像されていた。グリュミオー・トリオのステレオ録音で、ベートーヴェン弦楽三重奏はチェロ中央配置であった。そこで、はたと盤友人なりに思考が展開して、古典配置を原点に、第2ヴィオラ=アルトを弦楽四重奏のヴィオラを二人並べる発想に思い至った次第である。
 グリュミオー・トリオのコンセプトは、第1と第2ヴァイオリン、横並びに第1と第2アルトをつなげ、チェロを上手配置に並べる。これは、現代主流の多数派配置、機能主義ともいうべき単層構造、左右に高音域から低音域へと配置する発想。「しろうと」でもよく分かる配置だろう。弦楽四重奏の配置を中央にチェロとアルトを持ってくると重層構造として前列ヴァイオリン、後列低音域という素適なものが少数派として存在している。なんのことはない、ステレオ録音では、右スピーカーに低音楽器を配置する方が利きとり易いという発想なのである。ジャズなどでも、ピアノを左スピーカーから聞こえるように右スピーカーからコントラバスを配置させるのが一般的なのがステレオ録音であろう。
 第2ヴァイオリンとチェロの配置交換で古典配置は成立する。すなわち、ヴァイオリン両翼配置という原点で理想とするステレオ録音となるのが考えられる。このヴァイオリン、チェロ、アルトという三重奏配置のうえで上手側にアルトと第2ヴァイオリンという音楽は救われる。チェロのピチカートという弦をはじく音楽はアンサンブルが生き生きする。舞台上手端では、つまらないことこの上ない。オーディオの目的は音の再生にあらず、音楽の再生にあり。すなわち、音は聞こえればそれでよいというのは、モノラル録音の発想であり、空間を再生するステレオ録音は、楽器の舞台配置さえ、問題とする大事なツール道具、手段なのだろう。レコードを音楽の缶詰とする見方が大多数なのだろうが、その録音再生の究極は、作曲者が聴いた時どう言うだろうという仮定の問題が楽しいのである。
 ワインを醸成するのにモーツァルトの音楽を聴かせると風味が増す、という話題が新聞で発信されていた。いかにも、楽しいロマン香り一杯の、春に好適格好の話題ではある「東経139.4-北緯42.1」発・・・