千曲万来余話その676「バルトーク協奏曲第1と第3番P・ゼルキンとオザワ・・・」

 12日夜8時頃、満天の星空で南の中空にはオリオン座が鮮やかにリゲル、シリウス、プロキオン、ボルックス、カペラ、アルデバランと時計回りに冬のダイヤモンドはひときわ目を惹く。分かり易いのは、ベテルギウス、シリウス、プロキオンという冬の大三角形、このように晴天の星空で眼を凝らしていると、視力が後退しない作業になるのではないのだろうか?盤友人にとり中学生からの習慣である。
 13水曜日札幌もみじ台シネマサロンでグレンミラー物語1953年の映画会に足を運んだ。一度観たのは3~40年前の記憶、セントルイスブルースマーチで、兵士の行進モラルが上がったと将軍(ゼネラル)がキャプテン(大尉)ミラーを称賛した場面を記憶していたのだが、たとえば、ダブルベースを画面左側に見たり、BBCでの画面右側配置など興味深い監修がなされていた。あたかもキャデラックとロールスロイスのハンドル位置のごときで、米国では下手配置、英国では上手配置という観点を獲得したともいえる。他にはサクソフォン5重奏では、バリトンサックスが中央で左右にテナーとアルトを両手展開するのはまことに興味ある発見だった。クラシック音楽でも充分参考とするべき場面である。たとえば、シューベルトのピアノ五重奏曲鱒でもって、コントラバスが上手配置にこだわる時代、以前の発想によると舞台下手にコントラバス、上手にピアノフォルテという盤友人の発信は、グレンミラー物語で、検証されたというべきであろう。
 バルトーク1881~1945の音楽は12音音楽にパラレルといえて、近代の重要な作曲家の一人である。パラレルというのは微妙な言い方であってウィーンではなく、ハンガリー、ルーマニアという東ヨーロッパの民俗音楽が彼の土壌となっている。ピアノ協奏曲第1番1926年作品は、唯一のピアノソナタと同時期に作曲。第1楽章など、部分部分のパッチワークのような楽想展開で、楽曲の把握はバルトークの世界とも云える、大変な取り組みになるだろうという想像は易しい。1965.6/23録音によるピーターゼルキンと小澤征爾指揮、シカゴ交響楽団の演奏は18歳とオザワ30歳になる新進気鋭の演奏家同士による切れの良いリズム感、爽やかな管弦楽のテンポという類まれな記録に仕上がっている。ゼルキンはルドルフゼルキンの子息であり、当時カーティス音楽院を修了して間もないコラボレイション、オザワは、1962年7月のトゥランガリラ交響曲の名演奏をなしとげ、12月に「事件」、翌年8月シカゴ響指揮する機会を獲得している。
 LSC2929番号のレコーディングは、3番の第2楽章に明らかであり、冬空、満天の星世界をイメージさせる寒気の中に、張り詰めた静寂感、この作品はバルトーク享年64歳1945年の作品であり、第3楽章はスケッチなどを基にしたペーターバルトークたちの補筆完成による。
 オザワさんはジョンケージらと1961年来札、1974年9月には幻想交響曲で札幌の交響楽団定期演奏会を指揮している。1978年5/11には北海道青少年会館にてリハーサル、楽屋で彼からサインを頂いている。その時、運命389小節目の全休止の異説をお話して、問題提起をさせて頂いている。2008年NHK交響楽団を指揮して運命の第1楽章で拍手が起きたのだが、それは彼の指揮芸術の一端、緊張感を極限まで高めるというものだろう。つまり、あの全休止は、演奏者たちに緊張感をグリップする手段として機能していたのだ。盤友人に対する回答なのであるのだが、彼が天才的努力の指揮者であることは、その人生が示している。NHKはほぼ30年間「オザワセイジ」を事実上放送禁止処分にしていたのであるがボストンなど世界各地での彼が指揮する音楽会はいつも満席という話は広く知られていた事実。中国でもオーケストラを指揮するなど彼の業績を広く深く認識することによる吾らの作業は必要とされている。2月5日夜、彼は星の世界に輝き、オリオンに姿をかえた・・・・・