千曲万来余話その682「チェリストの時間、フルニエ、モノラル音盤再生する愉悦・・・」

 モノラル録音を聴くと広がり感が無く、録音は貧弱・・・という先入観は広く行き渡っていて、例えばレコード雑誌で評価はそれだけで40ポイント減点は標準的な感覚だった。ということは、レコードの歴史というものは現代に進むほど進化しているというものなのだが、その典型的なコンパクトディスクの生命は如何ならん、というか、最近はLPレコードが復活しているという。1980年代に入り土星の輪の写真と共にデジタル通信手段は格段の展開を見せて、家庭に有ったLPレコードは廃棄させられる運命を担ったものである。
 盤友人はアンプシステムでシングルアンプ、出力管がドイツ球のAD1を採用して丸1年が経過して、現在33CXナンバーのLPレコードに沼っている実情である。かのナンバー33CX1001は1951年にリリースが展開して大戦後の録音されたものが続々とLPレコードという陽の目を見る時代となっていた。もちろん1955年頃にはステレオ録音が開始されてCX1900台ナンバーでもって終了しているのだが、そこには、モノラル録音のピークが記録されている。
 33CX1606でもってピエール・フルニエ1906.6/24パリ生まれ~1986.1/6ジュネーヴ死去、右足の不自由をかかえて9歳でチェロ演奏に進み、パリ音楽院でパスレールとエガンに師事し23年プリミエを得て卒業。翌24年にパリデビューを果たしている。34年にベルリンフィルと共演、その後、ケンプpf。ペルルミュテールpf、ブイヨンVn、シュナーベルpf、シゲティVn、プリムローズaltなどとアンサンブルを組んで、室内楽で活動を続けていた。1954.11にはNHK交響楽団ともドヴォルジャクの協奏曲(ニコラウス・エッシュバッヒャー指揮)など共演している。彼はバッハの無伴奏組曲をDG盤やPH盤などに残している。バッハ演奏家として、アルヒーフ録音(1960年末)は不滅の金字塔として有名であって、気品、優美そして典雅なバッハ演奏として愛好家の間ではトップクラスの録音盤として知られている。特に2番ニ短調の演奏は、ハスキルが亡くなりその2週間余りの直後の録音とも云える、静謐感に満ちた屈指のLPステレオ録音盤である。風聞によると使用楽器はカザルス直伝の「マテオ・ゴフリラー」という名器による。
 チェロのプリンスとも評された1957年録音によるチェリスツ・アワー、チェロ奏者の時間は、ジェラルド・ムーアという英国人ピアニストの決定的名演による幸福な時間である。「幸福になる必要はないと自覚して、幸福を感じ始めた」というのはアンドレ・ジイドの逆説的格言、「自由」の境地にして初めて獲得する幸福は、正に、ムーアの達者な名人芸とのコラボレイションで実現されている。ジェラルド・ムーアは当時、ヴァイオリニトでいうとハッシドとか、バス、バリトン歌手でいうとホッター、フィッシャー=ディースカウなどと共演、ピアニストの百戦錬磨ともいうべき名伴奏者。日本人でいうと、長老の現役鍵盤楽器奏者ならびに指揮者、小林道夫先生がいらっしゃるのだが是非とも、オーラルヒストリーとしてピエール・フルニエとの共演のみならず多数の欧米演奏家との歴史を刊行して頂きたいものである。
 ムーアのピアノは楽器の鳴りが豊穣、音楽が豊かで、ピエール・フルニエは遺憾なく、そのチェロ演奏技術の粋を究めて録音を果たしている。弓遣いの揺れが感じられて、楽興の時としてピークを記録している。リムスキー・コルサコフの熊蜂は飛ぶに続けてサンサーンスの白鳥が聴けるというのは、その配列の妙として、留飲を下げるものである。
 5月という一か月の間に、盤友人にとって音楽の先輩たちが鬼籍に入られた。学生グリークラブの指導者82歳、放送合唱団のコンサートマスター88歳、そしてオーディオの手ほどきとオイロダイン所有の先代85歳立て続けに訃報が届けられたのだが、特にKY氏とは、フルニエの芸術に同じ評価を与えていて、この33CXのレコードを献奏したいもの天国の先達とともに感動を共有したいものという想いで一杯…