千曲万来余話その700「シベリウスVn協奏曲カミラ・ウィックスという奇蹟に、刺さる話・・・」。
いい音で聴きたい、とはLPコレクターのモチヴェイション動機であり初版録音盤に出逢うのは正に御縁、運ばれる命とでもいうべき奇蹟的な巡り合いによる。盤友人にはプライベイトでいうとおふくろ48歳の死後父親再婚による母が享年96歳の死、50年間ともに過ごした見送り初盆の後の出逢いで、なんとも運命的な感じがする。
この出来事の最中にEMT927プレイヤーが暑さによりモーターが剥がれて脱落、その母死去8/3の前日土曜日に音蔵社長KT師は修理を果たして再生していた。それは今にしてみれば本当に奇遇だった。
盤友人はシベリウスのヴァイオリン協奏曲でカミラ・ウィックス独奏エールリンク指揮したストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団の米国キャピトル盤を所有していて1952年録音、その独奏は音楽性が高く技術的にも優れたレコードとして高評を博していた。その当時レコードとしてはEMI盤1945年録音のジネット・ヌヴー独奏ジュスキント指揮したフィルハーモニア管弦楽団のものが先行して、スケールの大きい力強い演奏でそのパリジェンヌ・ヌヴーは米国への楽旅の途上に旅行機はアゾレス諸島サンミゲルに客死。ピアニストで兄のジャン・ヌヴーと一緒という悲劇、まことに痛ましい1949年10/28のことであった。
米国キャピトル盤とCLP-510メトロノーム盤メイドイン・スウエーデンというレーベルの音の違いはどのようなものか。その比較を盤友人は、奇蹟、としか思われない。オーディオの道歩き始めたのは今から46年前のことであり、オイロダイン・励磁式フィールド型のスピーカーは我が家の部屋には31年目を数える。しかもメインアンプ・AD-1シングルのモノラル仕様でツインタイプは、2年目である。すべてこの日のための過程を経てEMT927プレーヤーでカートリジはEMT-C25、多分オーディオ・システムがピークに到達しての再生という運びである。米国盤はごく普通のレベルのモノラル録音盤、独奏者技術の高さが際立つ感想であった。
オリジナルで初版盤というものは、カッティング、そしてプレスが限定されたものであって、枚数も限られ、コンディションというものもその保存状態は、所有者の取り扱い次第であって盤友人に届けられた初版盤は、盤面ミント、無傷の素晴らしいグッドコンディションを誇るものである。照明の具合では虹の見える、というのもコレクターにしか経験できない世界である。それを再生して通常盤といかなる違いが感じられるか? それは迫真性、生々しさ、独奏楽器の音の輪郭はマイクロフォンがしっかり捉えていて、2ウエイのスピーカーでは、ドライバーという高音域だけではなく、中音域の分厚いだからウーファーからも音色が聞き取れるという別世界である。技術性の高さは彼女の音程ピッチの決め方が微妙に下からピタリと決める、すこし、泣きの入るような、彼女の歯を食いしばり感が感じられる。
協奏曲というものは管弦楽の背景があるのだが、ここに聴こえる管弦楽は極めて熱量の高い、合いの手として独奏者との一体感は他のどのレコードよりも抜群である。ソリストの気合をしっかり受け止めて間髪入れずの緊張感はこの初版盤を再生して初めて体験したゾクゾク感、ワクワク感、ハラハラ感という三位一体の極上体験でヴィンテージ・オーディオ醍醐味、合体のひと時である。カミラ・ウィックスの精気一杯の演奏と管弦楽団とのぐいぐい引っ張り感は、初版録音盤ならではの勝利であろう。
つくづく、札幌音蔵社長の仕事によるメイクピークは創業37年老舗の持ち味で、初版盤提供のオーナーとの信頼関係の賜物、盤友人としてはこの千曲万来余話が700回目にして情報発信できる幸福を、サイト閲覧者の皆さま友にわかちあいたいものであり、誠にありがとうございまする・・・