千曲万来余話その712「チャイコフスキー交響曲5番、スヴェトラーノフかクレンペラー指揮か」

 交響曲のベストレコードはどれかというチョイスで日本においてカラヤン指揮というツールは多数派を形成している。圧倒的なLP録音を誇り、彼は正に帝王的存在で太陽の如く燦然と輝き放ちその陰で、名盤は愛好家に語り継がれている。たとえば、ロシア物の神様はムラヴィンスキー指揮であり、ムジークフェライン1960年録音のチャイコフスキー交響曲レコードをして、岩城宏之はあのテンポの採り方を参考にするとまでの大切な存在、ならばカラヤン先生は如何に。
 彼の盤歴を調べると5回ほどの同曲リリース、1952年フィルハーモニア管弦楽団、英国コロンビア盤で録音技師はダグラス・ラーター、1965年9月22日にはドイツ・グラモフォン盤ベルリン・フィルハーモニーで技師はギュンター・ヘルマンス、ベルリンダーレムのイエスキリスト教会、1971年9月には同じ場所でEMI録音技師はウォルフガング・ギューリヒ。1975年10月にはDG盤技師はG・ヘルマンスで場所はフィルハーモニーザール。1984年3月にはムジークフェライングロッセザール、録音技師はG・ヘルマンスでウィーンフィルハーモニーを指揮して録音。
 カラヤン・ベルリンフィルだけでも3回の録音でフィルハーモニア管弦楽団とウィーンフィルとそれぞれ1回ずつという前人未到の盤歴であるのだが、これは何を意味するものか? 言えることはそれぞれに趣きは異なる ということ。音楽で「時間藝術」としての所以は、その時その時の音楽の記録ということで、カラヤンの偉業を無視することは、ほとんどオーディオに無縁の人というまでで、オーディオ愛好家には興味深い愛好する対象LPで、「大将」というのはいや多分言い過ぎであろう。たとえば、フルート奏者に的を絞るとEMI盤はまぎれもなくジェイムズ・ゴウルウエイの音色と認識する。既に発信していたものか第2楽章アンダンテ・カンタービレ・コン・アルクーナ・リツェンツァ歩くような速さで甘く歌い、若干、別れ告げるように でホルン独奏担当を1952年盤ではあの、デニス・ブレインというようにその記録レコードを愉しむポイントは、様々である。
 4月札幌の定期公演会で、ピークは独奏チェリスト山崎伸子先生による「ロココ」変奏曲にあった。指揮者は冒頭札響初演曲「ハムレット」の演奏からして緊張感高い様子であり、独奏者アンコールのカタローニャ民謡「鳥の歌」は、聴衆をして固唾をのむキタラホールに満ちた楽興の空間を、展開したひと時となった。その後半のプログラムにチャイコフスキーの交響曲という行き届いた配慮で正に、それこそ指揮姿に現われた楽員に献身する無二のものであった。
 エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮したUSSR交響楽団1967年盤では5番交響曲の琴線に触れる楽員の音楽性溢れたレコードで弦楽器など甘い音色は無二、ただし金管楽器のトランペット、トロンボーンの突き刺さるような吹奏には、「冷たい」というも予想されるがあのフレンチホルンのヴィヴラートは、ロシアの伝統的様式フレンチヴィヴラートで余人をもってして不可能な演奏かもしれない。そこで、オットー・クレンペラーのフィルハーモニア管弦楽団1962年録音LPを再生する。それこそ溜飲を下げる演奏の記録、上には上があるとはこのことだろう。現代のオーケストラ界は、ヴァイオリン両翼配置の復活、即ちヴァイオリン第1と第2Vnを指揮者両サイドに振り分ける演奏配置の再興である。どういうことか ? ヴァイオリンを揃えるという戦後に大勢となったスタイルは、あくまでも「機能主義」というべき指揮者による、より容易な演奏配置であって、それを両サイド振り分ける配置は見事に作曲家の意図した演奏効果抜群の配置なのである。クレンペラー指揮ステレオ録音ではそのチャイコフスキー節さく裂した聴き映えするLPの一枚といえるのだろう・・・