千曲万来余話その716「エルガー変奏曲エニグマをボールト卿の熱い音楽で・・・」

 彼の活躍は英国民にとり誉れであり、機関車などに彼の名を冠したものがあったという。1901年リヒャルト・シュトラウスは彼の曲をして、大家の作であると評価していた。エニグマ作品361898年の作であり、あの有名な威風堂々作品391901年のもの、エードリアン・セドリック・ボールト卿は、1889.4/8チェスター~1983.2/22ロンドン没、1981年に引退していた。
  彼はラプツィヒにてアルトゥール・ニキッシュに指揮を学び、終生にわたり長い指揮棒を使用していたといわれている。長い指揮棒、この意味するものは、楽団員にとり、その見やすさというか演奏のきっかけになる合わせやすさ、音の入りのタイミングの取り易さ、すなわち合奏の安心感に一日の長が有る。ロンドンの指揮界では、1956.11/24オルリー空港の悲劇、グゥイド・カンテルリも長い指揮棒の指揮者として、記憶されている。10本の指で指揮したと言われているのがレオポルト・ストコフスキー、現代の指揮界では手で棒を握られないとして指揮棒を手放す指揮者が多数みられるのだが、楽団員としては、あの振りに合わせるのは大変だあーとか内心思われている向きもあるに違いない、その振り方では、どこで入ったらいいの? 判らないというのを想像するに難くない。
 ボールト指揮のLPレコードをコレクトしていて判ることは、ステレオ初期では、いうまでもなく左手側にヴァイオリン、指揮者の右手側にコントラバスという音の配置であったのだが、いつの間にか、低音部はスピーカーの中央にあり、指揮者両手側にヴァイオリンは開いて配置され、その音楽は実に雄大な音響を再生させてくれる喜びを味わわせてもらえる。つまり、大英帝国の貴重な記録は、ボールト指揮するステレオ録音にあるということになるだろう。どういうことかというと、第1と第2Vnそしてアルト、チェロ、コントラバスという弦楽配置は、和声学からして単層構造に有り、中央にチェロとアルト、さらに舞台両袖にヴァイオリン配置とは、重層構造ということになる。奥行き感が増して、さらにヴァイオリンの豊かな演奏を楽しめる、雄大な弦楽演奏が約束されることになる。
 翻って弦楽四重奏、合唱配置ですら、現代の多数派はソプラノSアルトAテノールTバスBという単層構造にある。ところが音楽的な楽しさは、ヴァイオリンの裏にチェロがあり、アルトの裏にテノールが配置されるという重層構造こそ、弦楽四重奏、混声合唱にとり幸福な配置となるのである。
 これは経験を積み重ねる経験則から導かれる問題だから、多数派を形成するものではないのだが、盤友人が中学生の頃テレビ放送で第1と第2Vnが並べられているのを見て、ああ、オーケストラとはそういうものだ、というスリコミが成されていた。オーディオ歴52年になるのだが、例えば、エニグマ第10変奏曲ドラベラにおいて独奏アルトの楽器音色がかくも鮮やかにヴァイオリンよりも渋く、チェロよりも甘い音色を再生できるというオーディオの醍醐味は何よりである。管弦打楽とは、その全ての調和の上で、木管楽器の軽妙、金管楽器の迫力、打楽器の緊張感さらに弦楽器による豊かな音楽の再生こそ、真骨頂といえるのだろう。
 国内盤LPは、国産スピーカー向けに周波数レンジを絞り、ノイズ軽減するという調整を加えているのだが、EMIレコードなど豊かな音響を提供して頂けるものである。何も、音響ではなく音楽の為にLPレコードは再生されて幸福になるのだが、夏目漱石は1900年から2年間ロンドン給費留学、もしも漱石がエニグマを聴いていたとするならば、あの憂鬱な印象から別な世界が体験できたかも、、、、、とか夢は果てしない。