千曲万来余話その715「ブラームス1番ヴァイオリンソナタをザイデル演奏というヴィンテイジばなし…」
今年も5月が矢の如くに過ぎ去るも、盤友人は劇的なオーディオの飛躍を体験することになる。ブルームーンという31日の満月も前回に音蔵社長はクラングフィルムの単線布巻銅線を持参、セッティングして聴いたそのとたん、腰が抜けてしまうほどのインパクトある再生音を体験していたものである。高度忠実性というキーワードこそオーディオ趣味の出発点、音にではなく音楽のためにというものは、限りなく音盤再生体験を深く豊かに、そして限りない仕合わせ世界の実現にある。どういうことか、トーシャ ザイデル1899ウクライナ生~1962寂というヴァイオリニストのレコード再生してプレーヤー、ピックアップ、アンプ、スピーカーというドイツ製品ラインナップで、クラングフィルムのスピーカーコードという一手で摘まれたSP復刻盤レコード体験。極楽至極音盤究極鑑賞時間体験実現。
その1931年録音のブラームスVnソナタ第1番G dur作品78。ブラームス46歳で作曲発表されていて彼は作品番号管理に厳しい態度を示し、ヴァイオリンの楽曲は多数創作していても第1番のリリースはこの音楽に設定されたという経過が有る。協奏曲ニ長調は作品77として発表されていたことと関係性を感じさせる。以前、盤友人はそのリズム動機に着目していてニ長調作品73である第2交響曲でのタッタターというパターンの重要性を指摘してある。
今回、トーシャ・ザイデル演奏を再生しての第1印象はノイエ・ザハリヒカイト新即物主義ともいうべきクールな演奏スタイル、当時の主流は作曲家の同時代演奏家の華麗ともいえる技巧性、音楽性を二刀流で披露する確信に満ちた巨匠スタイルの演奏に対して一線を画する、客観的な態度を感じさせられた。特に第2楽章でのヴァイオリンの特色を遺憾なく発揮させた緩徐な楽章の重要かつ冷静な演奏態度に深く感銘を受ける。
よく人は演奏家の高い技術性を耳にして舌を巻くほどの巨匠的な演奏に圧倒される。しかし、演奏家の進むべき道は、他に客観冷静な演奏を通して作曲者の構築した時間藝術を、聴く人に与える感銘の力を選択する音楽もある。それはあたかも落語家の世界で、噺をするときに話者が笑うべきにあらずとする教えである。もちろん、さにあらず笑い大笑いをしてみせて聴き手にアピールする落語家もいるのだが、始めの教えは、厳然として演者自ら笑うのは御法度というまでである。その教えを破り、自分の様にする落語家もいるにはいるのだが、型に入り型から出よ、という教えもむべなるかな、多様な在り方こそ、聴き手の愉しみ方一つということである。
ザイデルがゆったりした演奏で披露していたことは、楽器の表板と裏板の響きの同時演奏、という音楽である。アダージォ幅広く緩やかにという第2楽章で披露したのは、二つの弦を同時に奏でて、なおかつそれが中2本DとA線の時、明らかにD線は裏板が振動しA線は表板に共鳴していて、この実際の二つ旋律線を耳にするというマジック、こういう意図した演奏は当時としては画期的な演奏スタイルの記録となっている。つまり、パッションという情熱に訴える音楽よりかは冷静クールというスタイルによる音楽の力の伝える魅力にある。
熱狂主義というのは、祭典性というか激情的なアピール力優先の態度ではあるのだが、冷静に音そのものの演奏により音楽のハーモニー、縦の線のみならず 横軸のメロディー線によるハーモニー感こそ、バッハ以来のヨーロッパ音楽の神髄、ブラームスの意図はザイデルの演奏により明らかにされた歴史的時間藝術の勝利である。アナログ音盤による功績は極めて高く、こう指摘するのは他ならずアナクロニズムではないというまである・・・