千曲盤来余話その53「卑弥呼の記憶から創造した古代祝祭劇を観劇して」

東京、札幌、福岡のコンサートホールを演奏の場とする、ありえたかもしれない日本のオーケストラを、11月24日、月曜日に観劇した。
というのは、ヴァイオリン、チェロ、コントラバス、バスドラム、パイプオルガンなどなどと西洋楽器だけではなく、中棹三味線、箏、十七弦、琵琶、笙、篠笛、尺八、能管、そのうえに洋楽と邦楽打楽器、声明や舞踏が加わる。
フエ、コトの和楽器のほかに、大本山増上寺式師会の男声合唱。中村児太郎の邦舞、花柳昌鳳生たちの群舞。舞いの見事さは、いうまでもなく身体のしなやかさは、表現の基本であったし、卑弥呼の復活というストーリーも上手く舞台P席の利用で印象づけていた。
いまわしい現実、それをのりこえて、祭りの場面では、客席から登場する笙の宮田まゆみ、能管の一噌幸弘、声明の散華などシアターピースとしての音楽も効果を上げていた。
祭りの音楽では、客席から手拍子もわき起こり、一体感をおぼえた。
コントラバス、チェロによる低音域の音響、ヴァイオリンソロによるハレのメロディーというソリストは大谷康子。チェロは、堤剛。中棹三味線、常磐津文字兵衛。
朝日の笑み栄えてという声明(しょうみょう)、卑弥呼の復活というお仕舞いを迎えて大団円。
青から赤へのよそおいの変化も印象的。舞踏振り付け、中村梅弥、花柳達真。
卑弥呼の存在は、日本人の陽気の象徴だ。観劇した後、晴れ晴れとした聴衆の一人盤友人は、音の塊の上に響く能管の哀調を、反芻していた。
バスドラムの間髪入れずジャストフィットの一音や、邦楽打楽器の音色の色彩など曼陀羅けであった。
2014年、平成26年、来週は師走、年の瀬を迎える。
年は、移りゆく様を旅する客人に見立てた、芭蕉の一説が、しみじみ身にしみる季節の、ファイン、フィーネfine・・・・・