千曲盤来余話その61「弦楽四重奏曲15番作品132」

オーディオの師匠から、サゼスションがあった。
あれは、魂のさけびだよ、と。
ハンガリー・弦楽カルテットによるイ短調作品132を聴いた。
後期の作品群は第12,15、13そして14番作品131という作曲順だそうだ。
前述の三曲は、ロシアの貴族ガリツィン公の依頼によるものとのこと。
作品132は、全5楽章からなる曲で、第3楽章モルト・アダージオがピークを築く。
アダージオという用語は、くつろいだ緩やかな速度でという程のもの。ベートーヴェンの音楽では、かなり重要なキーワードである。
第一、第二楽章を聴いていると、第一Vnゾルタン・セイケイ第二Vnミハエル・カットナーの二人の音楽は、左のスピーカーから、チェロのガボール・マジャール、ヴィオラのコロムツァイの演奏が右のスピーカーから聞こえてくる。イライラしてしまう。
デコレイションケーキには、前後左右が決まっているだろう。前後を縦に二分の一カットして、左側に前、右側に後ろを配置した横から眺めた感覚がある。
左右の感覚を尊重するとしたら、第一と第二のヴァイオリンを開くのが作曲者の意図であろう。演奏者が第一と第二を左側に揃えているのが大多数のステレオ録音だ。
それだけで、すでに、音楽の感興がそがれることになっていると言えるだろう。だから、モノーラル録音の方が、まだ、我慢ができることになる。
そんな不満も、第三楽章に来ると、忘れてしまうと言うか、こだわらなくなるほど、音楽は、魂の平安を求めたものになっている。第四楽章、行進曲風にでは、生きる歓びを歌っている。第五楽章は、自由である。
ステレオ録音で、左右観は、決定的な要因である。高低か?第一第二のヴァイオリンか?
ベートーヴェンの初期の弦楽四重奏曲など、決定的に面白くなること受け合いだ。