千曲盤来余話その64「オーディオ、その世界に、感性で関わる」

音楽の楽しみは、生なま、現実の音楽を実際とする行為と、スピーカーに対面して記録された音楽を愉しむ行為との二面を併せ持っている。
ということは、記録音楽、すなわちレコードとは、再生する音楽であって、複製ではない。
この認識は、一般的な常識とは、少しく異なっていることに注意したい。
たとえば、クララ・ハスキルという女流ピアニストの演奏を実際に体験している人はごく限られているのは、事実であるにしても、レコードで楽しむことは可能な話なのである。
複製とどのように違うのか、ということを説明するには、容易な話ではないけれど、現実の音楽のように愉しむことができるというと、お分かりいただけるであろうか?
そのためには、オーディオの世界が、必要になってくるというわけだ。
LPレコード、プレーヤー、アンプ、スピーカー、これらの一体が、オーディオシステムである。
アナログの世界は、SPスタンダードプレイ、LPロングプレイの世界まででディジタルの世界、CDコンパクトディスクなどは、少し趣を異にする。
良い音とは何か?
たとえば、アルトゥール・シュナーベルの録音したベートーヴェンのピアノ・ソナタSP録音をLPレコードでも愉しむことはできる。同一線上の体験である。
その演奏のCDは、別の趣になる。アナログの音にこそ、良い音は宿っている。
ピアノの演奏が、スピーカーを真向かいにして、眼前に繰り広げられる一体感が神髄である。それは、コピーではなくて、記録の再生であることに注意が必要である。
ピアノ音楽の複製とは、別物のことであり、記録とはそのものの音楽なのである。
音楽の再生こそ、オーディオの肝要である。
すなわち、音ではなく、その行為としての音楽こそ、オーディオの目的なのである。
クララ・ハスキルの複製を求めるのではなくて、その音楽の記録を再生するのが最善であり、おのずと、それを決定するのは、感性であって、理性の話ではないとしておこう。