千曲盤来余話その73「オーディオの愉悦、贅沢は敵か素敵か?」

オーディオの楽しみの最初は、スピーカーの選択から悩みは尽きないのではあるまいか?
大きく言うと、クラシックか、ジャズかという選択から始まる。タンノイ、ローサーなどブリティツシュ・サウンドはクラシックを聴く人の憧れである。
アルテックというのは、ジャズを聴く人には神器とさえいえる。クラシックを鳴らす人にとっても素敵である。CBSの録音セッションにも、モニタースピーカーとして登場する。
タンノイの、エンクロージャーという箱鳴りは、好みの分かれるところとなる。
このアメリカか、ヨーロッパかという選択は究極のものとなり、つきまとう問題である。
どこが、異なるのか?音に現れる差異はいかなるところにあるのか?
たとえて言うとローソクの灯りによる光と影の陰影表現の違いにある。
アメリカン・サウンドは、そこに100ワットの照明を当てるような表現傾向である。
ヨーロピアン・サウンドは、あくまで、影を表現するデリカシーを尊重する。
これらは、好みの違いであり、ベートーヴェンの交響曲を演奏するオーケストラは、ドレスデン・シュターツカペレか、フィラデルフィア・オーケストラかというくらいの差異がある。それぞれに愉快ではある。
絵画で言うと、アンドリュー・ワイエスの細密表現か?オーギュスト・ルノアールの筆致か?というとお分かりいただけるであろうか。
最近、プリアンプのGT管のオールド1950年代製品四本を入手した。6SL7である。
新旧いずれも、ムラードという英国製品。
盤友人は、考えてしまった。これを手にすることは、単なる贅沢に過ぎないのではないか?
抜き差しすることには、ためらいがあったことを告白しよう。
アントニオ・ヤニグロによるチェロ、パウル・バドゥラ=スコダのピアノによるブラームスの作品38のソナタを耳にして、瞬時に決意は固まった。
演奏者の表現にとって、必要な真空管であるという結論に至ったのである。
素敵な悩みであった。