千曲万来余話その155「ラフマニノフ・プログラム演奏会を聴く」

ラフマニノフのピアノ協奏曲第三番ニ短調作品30には、ホロヴィッツが独奏のオーマンディー指揮したニューヨークフィルハーモニー1978年1月の録音や、ラーザリ・ベルマン独奏、クラウディオ・アバド指揮した、ロンドン交響楽団1976年録音のもの、アレクシス・ワイセンベルク独奏したレナード・バーンスタイン指揮、フランス国立管弦楽団1979年9月録音のもの。
これらの演奏に言えることは、名技性、巨匠性、ロマン性の遺憾なく発揮された音盤ディスクであるということだ。
ピアノの打鍵は、深いものから、強く輝かしいもの、フレーズ感のはっきりした、ロマン的な情緒を愉しませる幅の広い音楽性が、説得力をもっていて、手に汗握らせ感動させ、満足感をもたらせる。
男性的である。
女性が弾く姿は、完璧なテクニック、しなやかな感性、やや弱めの音量、ひたむきさが勝っていても、聴いている分には、もどかしさを乗り越えられない。不満だという印象をぬぐいきれない。
弱い音量でも、たっぷりと響かせた打鍵タッチがほしい。ラフマニノフの音楽には、堂々としたグランドマナーの高い巨匠性ヴィルトゥオージティーが望まれる。
10月のオーケストラ定期演奏会では、この曲が取り上げられていた。
アンコールで演奏されたスクリャービン、左手のための小品も、さらりと流して演奏され、彼の狂気性を微塵も感じさせないのは、見事ではあるのだけれども、手のひらではなく、手の甲を見せられているがごときで、届かない感想がつきまとっていた。残念なことである。ピアニストとして殻を破った演奏が期待されるのだが・・・。
要するに、もの足りない演奏であった。
演奏会プログラム後半は、ラフマニノフの交響的舞曲。
打楽器は、チューブラ・ベル、グロッケンシュピール、トライアングル、銅鑼、スネアドラム、ティンパニー、さらにバスドラムと、多種多彩な楽器群がずらりと勢揃い。アルト・サックスの独奏、コールアングレ、バスクラリネット、ピッコロまでも加わり、音域も広い。ハープ、ピアノ、そして三管編成の管弦楽。しかも、音楽は、ワルツからスウイング感のある旋律と、愉しませるものであった。指揮者は、きれいで見事な指揮ぶり。ではあるけれど弦楽器など、響きがうすい感がつきまとい、今ひとつ、もどかしい、指揮者には課題の残る定期演奏会であった。