千曲万来余話その154「「ショパンとクララ・ハスキル」

LPレコードを聴くのは、なにも、亡くなった人を蘇らせる儀式ではあらずして、その人の音楽の記録を生々しく再生させることである。だから、レコード即ち過去の遺産ではあらず、その芸術の追体験なのである。
フルトヴゥングラーのレコード、よくも飽きずに、繰り返し繰り返し聞くなあとあきれる人がいるかも知れない。運命にせよ、1926年、1937年、1943年、1947年、1950年、1952年、1954年などなど複数種類の音源ソースが残っている。
彼のレコードの場合、圧倒的に実演ライヴが多数である。演奏内容、演奏会場など異なるレコードだ。コレクターとしては、沢山たくさん集めたいと希望するのが人情というもの。ライヴ録音は演奏記録に手を加えて修正する余地はなくて、たまには、有るにはあるけれど、その緊張感をいかにして味わえるかが、肝である。
ピアノの詩人、ショパンには、ピアノ協奏曲が二曲、楽譜出版順に番号付けされた名曲がある。
彼の場合、よく、その管弦楽法に手を入れられて、数小節カットされることが、普通であるが、それは、おかしなことである。それは、さておいて、第二番ヘ短調作品21、生涯の最期になったレコードを残したピアニストがいる。フレデリク・ショパン1810年3月1日ワルシャワ近郊生まれ~1849年10月17日パリ没は、広く愛される作曲家。その彼の作品を立派に演奏している記録は多数、鑑賞することができる。その中でも白眉は、残念ながらラストレコーディングになってしまった、クララ・ハスキル独奏による、イーゴリー・マルケヴィッチ指揮、ラムルー管弦楽団パリでのフィリップス録音がある。
1960年10月3、4日の演奏録音。彼女はその二ヶ月後、ブラッセル駅で転倒による予期せぬ事故死。
指揮者マルケヴィッチと一緒に、既に、モーツァルトの協奏曲を録音しているけれど、ショパンのレコーディングは、熱気に包まれた生気溢れる演奏を体験することができるのは、せめてもの、仕合わせというものた。
第二楽章に聴くことのできるピアニズム、運指のなめらかさは、他の追随を許さない。今そこに、作曲者が演奏披露を展開しているがごときである。レコードジャケットには、ハスキルが、完璧にオーケストラ部分を全曲演奏できたことを記している。かのピアノの音色は、プレイエルのものであろうと耳にする。
クララ・ハスキルの演奏を再生するオーディオマニア、レコードコレクターは、目を閉じてひたすら、ショパンの世界に遊ばずには、いられないといえよう。仕合わせなひと時は、紅葉の錦秋にふさわしい。