千曲万来余話その306「シューベルト、ピアノソナタ第20番イ長調を弾くラドゥ・ルプー」

今から40年ほど前に購入しているステレオ録音レコード、ラドゥ・ルプーが弾いたシューベルト作曲ドイッチュ番号959のピアノソナタ第20番。1975年8月、76年7月に録音されている。
録音エンジニアにケネス・ウィルキンソン、コーリン・ムーアフット二人のクレジットがある。
後者はソナタ第5番変イ長調のようである。キングズウエイホールの音響を取り込んでいる。
ウィルキンソン録音の方は、楽器に近接していて、ホールトーンを避けているようだ。
この演奏は、生々しく、青年作曲家の希望と苦悩を描き出していて、秀逸である。普通の演奏では、その両立はありえなくて、その両面の表現に成功しているのである。まさに、ベートーヴェンのすぐ後ろにたたずんでいて、古典的世界からロマンティック、普遍世界に憧れる青春の芸術といえるのだ。もはや、形式から飛び抜けて、予定調和し得ない感情を優先した、ロマン派特有の世界にまで高められている。その100年経過してベルクのソナタなど、その表現世界、基盤である調性を離脱したものとなっている展開となる。ということは、感情表現から、脱感情して、表現のみへと変化を見せたのであろう。
ウィーン、音楽の都の歴史である。抒情派ピアニスト、ルプーはそこのところを的確に演奏している。
ここのところで、オーディオの周辺を記録しておきたい。
電源トランスは左右一対メインアンプに独立して使用、 極性ホットとアースの区別を徹底、 ケーブルは、クレジットマークを供給側から使用側へと流れ読むように、合わせている。
カーボンスペーサーの使用、電源部、プレーヤー、プリアンプ、フォノイコライザー全てに敷く、 カートリッジ、ステレオ針圧は5,9グラム、モノーラルは6,1グラムに設定。
2017年、早々にフォノイコライザー、モノーラル倍率を下げて、ゲインを上げ目に設定、 再生音は、透明化が向上して、倍音の音圧が上昇、ピアノという楽器など、全体の音響を表現して、演奏者の表現意志が伝わってくるようにその向上を見せている。
ピアニスト固有の演奏スタイルが区別されてきたことにより、にわかに幅が出てきたようである。 その結果、シューベルト、リストというロマン派の音楽へと表現の特性が拡大された。
古典派からロマン派へと、世界の歴史は展開していく姿を、的確に表現できるように向上しそのことは、演奏家から作曲家へまでと、精神世界の深まりを見せている。
音響を表現する語句に、透明感というものがある。音に対して透明とは何か? それは、表現の焦点化向上であり、説得力が現実的に迫真力アップすることを指す。
シューベルトの孤独感は、ただ単に、持てない男の悲哀にあらずして、現代に蔓延するコミュニケーション不成立に対する、焦燥を越えた不安ではなかろうか?
じっと、こらえた先に、夜は明けて朝を迎えるという、悠久の営みがそこにあるだけ。 闇と光、やがて時間は解決するという真理にこそ、待つほかは無い、待てば海路の日和あり。