千曲万来余話その313「ラフマニノフ、ピアノ協奏曲2番を記録したリヒテルの名演奏」

そんなことも知らないの?常識だよ! ちょっと待って、常識って何?
世間では、少数派に対して、その認識を否定するときに使用される言葉として、常識を持ち出す。
暗黙の前提条件で、多数派認識として、けりをつけるセリフに、常識という言葉が使われる。例えば、音楽は生が最高!これは、レコードの話題を持ち出したとき、一般の方、LPレコードを聞くことが無い人たちの言葉に見られるし、そのように考えられているほうが、多数派ではないだろうか?
だいたいの場合、盤友人にはその人に反論するエネルギーを持ち合わせるほど若くはない。
スヴィャトスラフ・リヒテルの演奏会を聴いたことはないけれど、LPレコードを聞いて感動したことはあるんだけれどなあ!とか、いつも、心の内で反論を煮えたぎらせている。この人は聞いたことがないのだろうなあ、とも思っている。経験として、レコードを聴き、感動を味わっているのだから、認識が共通し一致したものにならないことに対し、ほぞをかむ思いをしている。 1901年頃、モスクワで作曲されたセルゲイ・ラフマニノフのピアノ協奏曲第二番ハ短調作品18。 音楽の開始は、ピアノ独奏で、まるで、弔いの鐘のような雰囲気を醸し出す。この時に。独奏するピアノの音色タッチは、無二のものが記録されているレコード、1959年4月ワルシャワ録音。 指揮者は、スヴィャトスラフ・ヴィスロツキで、ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団の演奏。 札幌のコンサートで、若い奏者による生の演奏会を聴いたことがある。きれいな演奏に終始していて、座席に腰掛けていたというだけ、演奏を聴いたという程度、ただ、それだけのこと。ところが、LPレコードを再生して、スピーカーに対面しているうち、ふつふつと演奏に惹きつけられるものを感じる。この音楽の引力はなんなのだろう。実に、魅力たっぷりな内容の演奏である。生でもこのくらいの音色を聴かせてもらいたいなあと、いつも、感じるのだ。
演奏を聴いて惹きつけられ、緊張感が高められる、これは、記録された音楽を再生する喜びのひとつで、リヒテルのものには、その生命力が宿っている。
レコードというものは、缶詰みたいなものさ、というのが常識なのだが、それをうまく再生したときのアナログのオーディオ世界は、生では経験できない音楽なのである。演奏には情熱があり、管弦楽と緊密に合奏していて、演奏者同士が互いに音を聴き合う音のヴァランスがあるし、メロディーには、歌心が感じられる。これは、簡単には経験できない世界、レコードにはそれが記録されていて、オーディオとは、それを経験するための装置に過ぎない。
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二月六日、札幌雪まつり開幕、ウエルカム、ウエルカム、情報媒体に注目していただいて、この厳しい多数の現実世界問題を乗りこえるエネルギーの一助に、余話がなれたら良いなと、そう思う。