千曲万来余話その401「バッハ、ソナタ二大巨匠ツーショットの笑顔」

ソヴィエト時代であってSPにも演奏記録が残されていながら、ステレオ録音にも活躍した数少ない巨匠の一人に、レオニード・コーガン1924.11/24ドニュプロペトロウスク・ウクライナ生まれ~1982.11/17ムイティシチ没がいる。 12歳の時ティボーに薫陶を受けているという。1941年モスクワ正式デビュー、名教師アブラム・ヤンポリスキーに学び、51年に修了、ブリュッセル、エリザベート王妃国際コンクールで優勝して一躍世界の脚光を浴びることになった。55年ロンドン、パリ、57年米国にデビューするなど多彩な活躍を果たしている。CD大全集Triton、メロディア、EMIなど81年までの演奏記録、数々の協奏曲、ソナタなど幅広い内容で、どれも素晴らしいものである。
  露メロディアと独アルヒーフとの奇跡的な録音契約成立1974?頃によるバッハ、チェンバロとヴァイオリンのための奏鳴曲、BWV1014~1019全六曲は偉大な芸術家カール・リヒター1925.10/15~1981.2/15との邂逅、一期一会の記録として貴重である。リヒターは、バッハ演奏家としての大家、がっぷり四つの奏鳴曲は、オーディオ的にみても、再生装置のグレードが高いほど、ぎっしり詰まった膨大な情報を過不足なく引き出して、鑑賞は豊かになる。当たり前のことなのだが、妥協する余地のない世界で、そこそこ程度という感覚では、出会うことのない世界と云えるであろう。それくらい、厳しくも深くて高くて強い演奏が展開されている。
 正直、レコード入手した段階では、正確な批評は不可能なレヴェルの問題で、ひらたくいうと、その演奏価値を認識不能の程度であった。ただ、盤友人には切り捨てるという態度は無縁の人生観であって、評価先送り・・・というLPレコードだった。LPというものは、再生者が成長を待って、そこにたどりつけるというメリットはあるのだ。即断という、決して軽々しく振り下ろす態度では、理解不能な世界もあるというもの、とても、真似できない、していけないというのが、盤友人の審美眼判断である。果たして、コーガンとリヒターのバッハ世界は、星空満天の輝きを放つ、孤高のアナログ世界である。
 一枚目第一番ロ短調、三番ホ長調、二番イ長調、そして五番ヘ短調、四番ハ短調、六番ト長調という二枚セット盤面割である。第四番BWV1017第一曲シチリアーノ、ここまで辿り着くと一気にバッハの微笑みに出会うことになる。
 第一番の演奏から、コーガンのヴァイオリンは充実していて、ダブル重音奏法では下の音域の充分な鳴りが印象的というか、比類ない演奏が特徴である。片や、リヒターが演奏するチェンバロは長尺もの、低音響の充実したグランド・チェンバロである。横綱で云うと、双葉山と千代の山という伝説世界である。盤友人の中学生の頃は大鵬関、柏戸関という昭和四十年代、それでもその熱気は白黒ブラウン管テレビでの観戦だった。
 コーガン死去のニュースは突然のことで演奏旅行の車中に起きたといわれ、謀殺説もあるなど不確かな情報の下で伝えられた。確かにソヴィエト時代は鉄のカーテンといわれた冷戦構造の時代、資本主義、共産主義の緊張感の張り巡らされていた時代のことである。音楽も、バッハの時代からわずか二百年後の世界でも、不可思議、あるのはLPレコードというヴィニール。そのジャケット写真に目をやると、本当に大芸術家二人の、にこやかで和やかな表情、なにより、その音楽がアナログ録音で再生できる喜びは、この上ない醍醐味。チェンバロの音色も多彩で、リヒター芸術の極限まで記録されている。午後十時、東南東中空の星空には冬の大三角形、ブロキオン、シリウス、ベテルギウスが、冴えやかに輝き放っている。