千曲万来余話その402「ドヴォルジャークのチェロ協奏曲、ピアティゴルスキーで聴く」

1/31水曜日は、月に二回目の満月、ブルームーンだった。見た人の話では、夜10時頃に赤銅色した月食だったとのこと。この次は三年後の五月になるという。盤友人は家族がインフルエンザA型にかかり、大変だった。残念!
  グレゴール・ピアティゴルスキー1903.4/4エカテリノスラフ生まれ~1976.8/6ロスアジェルス没、フォイヤマン亡き後、ハイフェッツ、ルービンシュタインたちと百万ドルトリオで活躍したチェリスト。1923年フルトヴェングラーに認められてベルリン・フィル入団、当時コンサートマスターはシモン・ゴールドベルクだった。1929年アメリカ・デビューを果たし、42年に市民権を獲得、36年と56年には来日している。カーティス音楽院やボストン音楽大学で後進の指導にもあたっていた。シャルル・ミュンシュ1891.9/26ストラスブール生まれ~1968.11/6リッチモンド没と1960年頃、ボストン交響楽団とドヴォルジャーク、チェロ協奏曲ロ短調作品104を録音している。1881年創立になるBSOは、シンフォニーホールの豊かな音響でも有名。70年代、アメリカのビッグ・ファイブというと、シカゴ、ニューヨークフィルハーモニック、クリーブランド、フィラデルフィアとボストン交響楽団のことを指していた。特に管のフィラデルフィアに対して、弦のボストンということで有名なオーケストラだった。
 熱血漢のシャルル・ミュンシュは、録音に対しても、即興性を尊び、演奏の一回性に賭けていた。何回も繰り返しレコードを聴いていると、ミュンシュは粗が見え、モントゥーは味が出てくるとは、LPコレクターの間で云われていること。盤友人はなるほど、と同感なのだけれども、だからと言って、ミュンシュの演奏を格下に見下すほど、冷血ではない。モントゥーに無い味があるというものである。ドヴォルジャークを聴いていて、何か、ハーレーダヴィドソンを跨いでいる感じ、別に運転経験あるわけではなくとも、そんな気がする、エネルギッシュな音楽になっている。だから、少しやかましいかもしれないのだけれども、ピアティゴルスキー、ストラディバリウスともいわれる彼の愛奏する楽器の音色はとびっきりの聴きものなのである。ミュンシュのオーケストラ伴奏は、印象として、弦楽合奏より管楽器の印象が強くなっている。弦のボストンなはずなのに・・・
 それは、彼が採用する楽器配置によるものと思われる。すなわち、第一から第二ヴァイオリン、アルト、チェロ、コントラバスという横並び一列になっていることによるものだからであろう。明らかに、右スピーカー側に低音域が有ることにより、中央が薄くなっている。つまり、第二ヴァイオリンとチェロ、コントラバスを交替すると、中央に、チェロ、アルトがあることにより、厚みが増すだろう。独奏者の後ろにチェロが配置されるのは、作曲者のステージ・パレットとして想定されているはずである。ブラスなどの音響がシンフォニーホールの豊かな印象に対して、弦楽合奏の印象が退行するのは故あることなのだろう。
 盤友人はLPレコードの愛好家であり、何も無いものねだりするわけではあらず、かくあると、一層、楽しめることだろうという先のことを楽しんでいるといえる。すなわち、ミュンシュ芸術の神髄は、ドヴォルジャーク先生への愛であり、その熱狂を十二分に愉しんでいる上での話。特に、1960年11月というと、米国大統領にケネディが選挙で勝ち進んでいる時世、その歴的熱狂がこのRCAレコードにも反映されているとしたら、それは記録的録音と云えるであろう。これほどの熱狂的な演奏は、あまりお目にかかることが無いといえる。チェロの美音は流石である。