千曲万来余話その411「B氏交響曲全集、ベルリンフィルが最初にレコード化した指揮者は・・・」

ベルリンフィルと結びつきの古い指揮者というとフルトヴェングラー、三度も全集録音を成し遂げたのはカラヤン、最初のCD全集はアバド、最近の全集録音はというとラトル、最初のLP全集レコーディングを果たしたのはアンドレ・クリュイタンス1905.3.26アントワープ生~1967.6.3パリ没である。ちなみに三回録音したカラヤンは、1960年代イエスキリスト教会、1970年代フィルハーモニーホール、1980年代同ホール、デジタル録音という変化を見せている。ラトルは2015年フィルハーモニーホールライヴ録音LPレコード全集、そんなわけで、最初の全集録音がクリュイタンスであったというのは、意外と言えば意外であろう。
 いうまでもなく、例えば、三回録音したカラヤンのものなど、芸風はそれぞれに異なっており、発売当時、評論家たちは競って発売された時には、今回の録音は優秀であるとか、なんとかで、売らんかなの論調であったことは記憶に新しい。カラヤンは、オーケストラプレーヤーとの連携構築は彼の宿命であり、60年代はフルトヴェングラーの影響への対決姿勢は、微妙なものである。そんな中で、クリュイタンス指揮する英雄交響曲作品55を鑑賞した。ステレオテイクモノーラル盤、フランスEMIの全集で、録音年は1958年12月15、16、18、19日、グリューネヴァルト教会でのLP。
 クリュイタンスは、王立劇場の合唱指揮者を経て常任指揮者に昇格、トゥールーズ、リヨン、ボルドーなどと歌劇場の経歴を積み49年にはミュンシュの後任として、パリ音楽院管弦楽団の常任指揮者となり62歳で亡くなるまでその地位にあった。55年にはバイロイト、ミラノ・スカラ座でもワーグナー指揮者として活躍、ウィーンフィル、ニューヨークフィルの指揮台にも登場、64年には来日を果たして名演奏ライヴ録音を残している。
 彼のエロイカ英雄交響曲を一聴して、印象的なことは、スピーディーというテンポ感であろう。フルトヴェングラーの52年12月ライヴなどを聴いてみると、その演奏するテンポは、アレグロ快速にの後にくる緩やかな部分では、明らかに別なテンポ感のものとなるのだけれど、クリュイタンスが指揮すると、緩やかなものでも、快速な部分と一体感が継続するという違いを感じる。どういうことかというと、F氏の場合、ベルリンフィルのメンバー、演奏者との連携が精神的に深いものがあって、いわば、神がかり的なものに仕上がるのに比較して、C氏の場合はそこまで求めていない、というか神がかり的とは言えない。
 F氏の52年のものでも、C氏の58年の第四楽章のフルート独奏する部分で、首席奏者オーレル・ニコレは25歳と31歳の違いがあり、彼は59年8月でベルリンフィルを去っている。その演奏スタイルは同じでも、C氏の録音で抜群の安定感を記録しているのは、特筆しておきたい。
 エロイカ英雄交響曲は、ナポレオン・ボナパルトに献呈するはずだったものをB氏は皇帝就任に抗議を込めて破棄し、第二楽章は葬送行進曲としている。クリュイタンスの演奏では、その音楽の終え方は特徴的で、激しい感情表出の後に、ロウソクの火が消えるかのようで印象的な演奏になっている。
 後世、フランス音楽の大家と目されているけれど彼のオーケストラ統率力は、並々ならぬ53歳の指揮芸術を記録している。
 フルトヴェングラーとカラヤンの狭間にあって、その洗練された大編成オーケストラのエロイカ英雄として最初に記録されている事実は歴史を眺めるうえで貴重。こうしてカラヤン時代の先鞭と位置付けられる演奏は、聴いていて心地良いものがある。モノーラル録音を充分に鑑賞出来て、時代を俯瞰することは、実に愉快・・・