千曲万来余話その412「チャイコフスキー、交響曲第一番冬の日の幻想、カラヤンとは何か?」

ヘルベルト・フォン・カラヤン1908.4/5ザルツブルグ生まれ~1989.7/16同地没
 二十世紀を代表する指揮者の一人、モノーラル録音からステレオ録音、デジタル・コンパクトディスクに至るまで、膨大な録音盤を残している。アーヘン歌劇場音楽監督で出発、1955年からはベルリン・フィルハーモニカーの指揮者として活動して、他にもウィーン国立歌劇場音楽監督を歴任、日本には1954年4月単身で登場し、日比谷公会堂、京都劇場、宝塚劇場、名古屋市公会堂などで指揮している。管弦楽団はNHK交響楽団。
 その後、1957年11月二回目の訪日、ベルリン・フィルハーモニー演奏旅行、日比谷公会堂、名古屋公会堂、福岡・電気ホール、八幡製鉄体育館、広島市公会堂、宝塚大劇場、神戸・国際会館、産経ホール、東京体育館(NHKSO)1959年10/11月ウィーン・フィルハーモニー演奏旅行、1966年4/5月ベルリン・フィルハーモニー演奏旅行で、東京文化会館、宮城県民会館、札幌市民会館、愛知文化講堂、金沢市観光会館、大阪・フェスティバルホール、岡山市民会館、高松市民会館、松山市民会館、福岡市民会館、広島市公会堂などにて指揮している。
 1970年5月ベルリンpo演奏旅行、大阪フェスティバルホール、東京文化会館、日比谷公会堂で指揮している。5/14?にはプローベ・リハーサルをジョージ・セルが訪問し、その当時、大阪万国博覧会でクリーブランド管弦楽団公演が後に続いていたのだった。
1973年10月同じく、NHKホール、大阪フェスティバルホールで指揮、1977年11月同じく、大阪フェスティバルホール、東京普門館で、1979年にも同じく、10月21日にはこの時の普門館第九公演がCD化されている。1988年4/5月、同じく、大阪シンフォニーホール、東京・サントリーホールで五回の公演を指揮している。カラヤンの来日は計九回を数えるほど、親日家といえるのだった。
 同じベルリンpoであっても、弦楽器や管楽器などプレーヤー、メンバー自体が交替していて例えば、オーボエなど50年代から77年まではロータール・コッホが首席であったのだけれど、チャイコフスキー冬の日の幻想第二楽章を聴くと明らかで演奏スタイル、ビブラートの掛け方等は異なる。次期の首席、ハンスイエルク・シェレンベルガーの演奏である。彼の師はマンフレート・クレメント、バイエルンの地で活躍したスタイルを有していて、ベルリンpoのスタイルがコスモポリタンといわれる所以である。ウィーンフィルはそこのところ、少し異なりウィーン高等音楽院の伝統が生き続いているのと違うといことなのだ。
 冬の日の録音は、77年12月9、10日。その頃のシーズンから彼はエキストラ演奏者として活躍し80年シーズンからは首席奏者に就任している。コッホの演奏スタイルに耳なじんだオーボエでは、シェレンベルガーのそれはビブラートが抑制されるなどして、かなりフレッシュ新鮮である。
 カラヤンのチャイコフスキーは、作曲者へのリスペクト、尊敬の念を通り越して、明らかに、カラヤンらしいスタイルに仕上がっている。それは、第四楽章を聴くと明らかになる。つまり、モーツァルトのジュピター交響曲が手本とされていて、楽器声部の入り方、すなわち、Vn両翼配置が底辺になっているところを、アルト、第二Vn、第一Vnそしてチェロ・コントラバスなどに受け継がれる音楽は、カラヤンのもの、すなわち現代主流型配置である第一と第二Vnが束ねられたものでは、いびつな音楽になっているのである。
 第二楽章でホルンのユニゾン斉奏が左スピーカーで位置し、コントラバスが右スピーカーから聞こえるのは作曲者のイメーシ゛とは正反対なのであり、現在、復古した配置で聴くと腑に落ちるというものである。ここで気を付けなければならないことは、それだけでカラヤンの音楽が否定されるのではないということだ。配置自体は、時代の反映なのであり、作曲者へのリスペクトこそ、復活した両翼配置の哲学と云えることなのだろう。カラヤンを尊敬する指揮者は多数いることだろうが、時代のスイッチ転換に敏感であることは、要請される指揮者の生き方である。 
※今年4月5日でカラヤンは生誕110年を迎える。