千曲万来余話その423~ブラームスが作曲した第三番英雄交響曲のあれこれ

 交響曲第三番へ長調作品90を、エードリアン・ボールト卿の指揮で聴く。雄渾な演奏の出来であって、いかにも彼がアルトゥール・ニキッシュの弟子であったことをうかがわせる名演奏、グラマーな音響に圧倒されるのだけれど、いかにもジョンブルといわれるブリティッシュサウンドだ。どこか甘めな印象を与えてドイツ系のいかついブラームス、謹厳実直でしかめっ面になじんでいると、ボールト卿が指揮する演奏からは、ああ、ブラームスという作曲家は生涯シングルでも恋愛に憧れていたのだという事実を感じさせるから不思議である。そういえばブラームスの師匠はシューマンでその妻はクララ・シューマン、ブラームスが思いを寄せていたかどうかは、定かではないのだけれど思いを寄せていた節はある。
 第一番ハ短調、第二番ニ長調、第三番ヘ長調、第四番ホ短調、この四曲が六十四歳で生涯作曲した交響曲の数だ。シューマンも生涯で、四曲残した作曲数と一致するのは、偶然の一致、ではあらずに彼の意志、そこに込められた意志の力を感じさせる。第三番変ホ長調ラインというのは、シューマンの作曲で、変ホ長調英雄というのは偉大な作曲家ベートーヴェンの世界だ。ラインという大河はドイツの象徴的存在で、シューマンの自信作、第一番変ロ長調、第二番ハ長調、第三番変ホ長調、第四番ニ短調というラインナップ。音名をアルファベットで表現するとB―C―Es―d となる。ブラームスのものは、c―D―F―e というもの。
 実は共通する旋律線として、ドーレーファーミという音楽が浮き彫りになる。シューマンのものは、B変ロ音をドとしていることが隠し味で、ピアノの鍵盤を弾くと、ああそうだ?どこかで聞いたことがある、モーツォルトのジュピター動機モチーフだ。交響曲第41番ハ長調K551ジュピター、五月十日は、木星の公転楕円軌道が地球に最接近する日だそうで午後十時ころ南方の夜空中空に一際輝いているのがユピテルとドイツ語でいうところのジュピターである。
 そういえば、ブラームス作曲第三番が1883年12月2日ウィーン、ハンス・リヒター指揮で初演されたとき、彼は英雄交響曲という呼称を贈ったといわれている。その年の二月十三日ヴェネツィアで逝去していた大作曲家は、リヒャルト・ワーグナーその人であった。だからベートーヴェンが描いた英雄がナポレオン・ボナパルトであったのに比較すると、ブラームスのものは追憶ワーグナーであったといえるのだろうということだ。
 第三楽章ポコ・アレグレットで開始はチェロの憂愁を含んだ旋律、やがて第一ヴァイオリンのメロディーで受け継がれる。ここで気をつけねばならないことは、チェロを装飾するのはアルト=ヴィオラで、第一Vnの主旋律を装飾するのは第二Vnだという事実である。
 オーディオの醍醐味の一つは、チャンネルセパレイション、左右分離感にある。すなわち、ヒダリスピーカー奥にチェロ、手前にヴァイオリンが浮き上がり、ミギスピーカー奥にアルト、手前にヴァイオリンが歌うというのは、正に作曲者の意図だから、左右片側のそれぞれで演奏されているようでは、モノーラル的発想に他ならないだろう。ステレオに分離されると、そこのところが、説得力を発揮している。それは、エードリアン・ホールト卿の録音で確認できる。オットー・クレンペラー指揮する録音でもそのようで、ああイギリス録音盤で経験されるのは歴史的皮肉、でもボールト卿では、右スピーカーからフレンチ・ホルンの独奏が際立っている。これは、もうたまらない愉悦だろう。職業指揮者の皆さん方はそういう経験が、おありになるのだろうか?いささか気になるところではある。 > >