千曲万来余話その460~「M氏プラハ交響曲、ブリトゥン指揮した名演奏、名録音」

 世の中では、その人が演奏すると名演奏のノシを付けて宣伝するようである。ということは、レコードにされたものはほとんどが名演奏。そこは趣味の世界だから、自分の好みと合わないものも多数である。そんな中で、鉄板の名演が記録されたものの1枚がブリトゥン指揮したプラハ交響曲。
 針を丁寧におろした途端、リスペクト感の充満した演奏が展開する。モーツァルトの作曲した五線譜がこんなにも丁寧に演奏されたレコードは、他に有るのだろうか?という思いが湧いてくる。イギリス室内管弦楽団のメンバーは、無心、モーツァルトの愉悦を繰り広げる。無心なのだからリスペクトがあるものか?という突っ込みが聞こえてきそうなのだが、それは、聴いてみると湧いてくる自然な感興というもので、演奏するモチベイションがそこに有るのだろうということだ。伝わる世界、どこにも説明書きは無いのでも、伝わるものである。リスペクト尊敬というものは、畏怖の世界、芸道の世界では、そこが醍醐味である。そういう深い感興こそ、求めてやまないのである。
 ベンジャミン・ブリトゥン1913.11/22~1976.12/4は1956年に来日している。イギリスを代表する作曲家、指揮者、ピアニスト・・・オペラはピーター・グライムズ、そして戦争レクイエム、日本政府委嘱作品の鎮魂交響曲、青少年のための管弦楽入門などなど名曲がずらりである。モーツァルト作品を指揮したレコードは、どれも名演。とりわけ1972年頃録音のプラハ交響曲、室内オーケストラの演奏だから、コントラバス3丁とすると、チェロ4、アルト6、第2Vn8、第1Vn10という30人余りの弦楽部分、フルート1、オーボエ、ファゴット、ホルン、トランペット二人ずつ、そしてティンパニーという41人編成規模が想像される。小振りだけれど、モダン楽器の編成で古楽演奏とは別な小編成感覚である。
 1786年フィガロの結婚K492発表、1787年交響曲ニ長調K504、自作指揮成功。プラハで大歓迎されたという。交響曲でも3楽章形式でメヌエットは省略されている。
 ブリトゥンの指揮がなぜ名演奏なのか? 弦楽合奏はきわめて明快で、丁寧に仕上げられている。クレッシェンドという強弱の漸増が自然で、リタルダンドというテンポの揺らぎも意識させない具合で演奏される。
 ここでステレオ観について考えてみるに、左チャンネルが第一と第二Vn、右チャンネルには、アルト、チェロ、コントラバスという低音域である。左右が高い音域から低い具合になだらかにグラデイションがかっている。すなわち、チェロとコントラバスの音域は、透明度が高く聞こえてくる仕掛けである。これは、1960年代に多数派を形成したステレオ観。決して作曲家の時代からのものではないことに気を付ける必要がある。何を言いたいのかというと、作曲家の時代にはヴァイオリン・ダブルウィング両翼配置という言葉が生きていた。すなわち、現代多数派のステレオ観は、これをネグレクトした世界なのだということである。
 ブリトゥンの録音に何もケチつけるつもりは無いのだが、無意識のネグレクト、前提として高い低いという音域優先の嗜好は、モーツァルト世界の破壊であることは指摘しておきたい。左チャンネルで第一と第二Vnの掛け合いは、左右のスピーカー、左右両翼配置こそ理想的演奏形態なのである。11/6札幌hitaruホールにて.アイスランド交響楽団のラフマニノフ作品を鑑賞した。指揮者アシュケナージは舞台上手にチェロを配置する形態を採用していたのだけれど、案の定、旋律線の掛け合いというよりは、レガートな音響を優先させる演奏に終始していた。彼の耳は、掛け合いよりは音響を優先したということだ。より理想的配置を望むところ・・・