千曲万来余話その518~「ピアノ協奏曲第22番、フルトヴェングラー指揮、バァドゥラ-スコダが・・・」

 9/27、パウル・バドゥラ=スコダ1927.10/6ウィーン生の訃報、25日オーストリア自宅で死去とのこと、4月のイェルク・デムス1928.12/2生まれに続くものだった。ウィーン三羽烏ピアニストの時代はフリードヒ・グルダ1930.5/16~2000.1/27からB=S氏をもって閉じられることになる。盤友人は06年07年とキタラホールで彼の演奏に接している。小ホールでは、ベートーヴェンのワルトシュタインソナタの演奏、作曲者が奏しているが如き入魂の演奏に感動を覚えたものだった。その頃、まだ彼のLPレコードを所有しているも、印象はデムスやグルダ程ではなく、実演に接して初めてその真価に打ちのめされたものである。
 1978年にはバックハウス以来というベーゼンドルファー・リングが贈与されている。エドウィン・フィッシャーに師事していて、1949年にはフルトヴェングラー指揮で、ウィーン・フィル、指揮者令嬢ダグマール・ベッラとともに二台のピアノのための協奏曲第10番変ホ長調K365を記録している。W・F氏とは3年後、第22番変ホ長調K482を1952.1/27ライヴ録音のウィーンシェーンブルン宮殿演奏会が、フルトヴェングラー協会盤として入手できる。
 バドゥラ=スコダは、ウエストミンスターレーベルに多数のレコードを録音し、RCAとはシューベルト、ソナタ全集、他では、ベートーヴェンのソナタ全集を記録している。作品の補訂、校訂を担当する等、音楽学者としての活動の他、コンクール審査員を歴任する等、教育活動にも業績を残している。
 フルトヴェングラー指揮のモーツァルト演奏は貴重であり、特に協奏曲第22番の記録は、指揮者自身も認めるほどの大変喜ばしい音楽に仕上がっている。独奏者自身の文章によると、演奏会当時ギリシャ公演のあと悪天候に災いされたものの、無事にウィーン演奏会にこぎつけてベストの演奏をかなえることができたとのことである。
 協奏曲の冒頭は、管弦楽の総奏で、弦楽の他フルート、クラリネット、ファゴット、ホルン、そしてティンパニーなど、壮麗な音楽の開始に仕上がっている。フルトヴェングラーの指揮は完全にオーケストラをグリップしていて、テンポの設定は、悠然、幾分遅めスローでのアレグロ、快い演奏である。24歳の独奏者は臆することなく、しっかりした足取りの快速テンポを展開している。これは、当然というと当然なのではあるけれど、それは若手ピアニストが大器である証に他ならない。バドゥラ=スコダにとってあこがれの指揮者フルトヴェングラーとの共演で、彼のモーツァルトの堂々とした音楽は、ベートーヴェンやワーグナーとはまったく違った天上の音楽という形容で、感動を記述している。
 彼のピアノの打鍵は、低音域の雄大な音響、中高音域の光輝な音色を披露していて、生涯を通じて変わることない演奏スタイルである。彼の訃報を確認した日本の関係者は、こちらでの演奏会予定の確認をする矢先であったようだ。
 ピアノという楽器、アバウトでイギリス式とウィーン式というアクションの構造に相違がある。スタインウエイなどは前者で、鍵盤の先にハンマーは打鍵する仕組みで、金属フレーム全体を共鳴させ、ベーゼンドルファーは後者のタイプ、ハンマーは手前に向かって打鍵する仕組みで楽器の全体を共鳴させる仕組みである。
 ウィーン古典派の伝統にのっとり、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトの貴重なレコードを再生する仕合わせは、何事にも代えがたいものがある。シューベルトの音楽にベートーヴェンロスの音楽を感じさせられたのは、思えば、何の不思議もないことなのだろうか。記録を再生する愉悦こそ、彼の不滅の芸術のおかげである・・・