千曲万来余話その520~「ワルキューレ、フルトヴェングラー指揮したラスト・レコーディング」

 今、夜10時ころの星空は東南にオリオン座、西北には白鳥座が美しい。このとき台風に被災された方々のことを想うと胸が痛む・・・レコードを聴きたくとも聞けない人々がいるという現実。
 災害に遭われた皆様の苦労を思うに、心よりお見舞い申し上げます。一刻も早い日常の回復を願わずにいられません。それにしても、普通の生活がなんと大事なことなのか、つくづく、知らされるこの頃、心を込めて読者の皆さんに応える千曲万来に励みたく、サイトに向かう・・・
 ウィルヘルム・フルトヴェングラー1886.1/25~1954.11/30はバーデンバーデンにて気管支肺炎のため永眠した。9/19,20にはベルリンでベルリン・フィル演奏会を指揮、自作交響曲第2番、ベートーヴェン交響曲第1番を取り上げていて公開演奏会の最期となる。自作曲の演奏は、スムーズに行かなかったと言われている。同年9/28~10/6までウィーン・フィルとワーグナーの「ニーベルングの指輪」第1夜ワルキューレ(ちなみに序夜はラインの黄金)を好調なうちに名演奏を記録することとなる。ガスタインへ湯治で、クラランの自宅への帰路、気管支炎を起こしてしまう。11/12バーデンバーデンのサナトリウムに入院したけれど、回復することはなく、治療のかいなく悪化し帰天している。エリザベート未亡人の話によると、彼とはイエスの博愛についてが最後の語らいであったという。人間に博愛をもたらしたのはイエスであり、この博愛こそがキリスト教の新生面であるというのが最後にして、口をきくのも稀になっていったらしい。行年68歳、晩年は聴覚障害で会話の成立に不自由をきたし、録音は体調の整ったときのものだった。イギリスEMIでは、ワーグナーの「リング」四部作録音を企画、それは「ワルキューレ」にとどまることとなった。
 12/4彼の葬儀はハイデルベルク、彼の母アーデルハイトが長らく生活していた街の聖霊教会で執り行われた。献奏ベルリン・フィルと指揮者はオイゲン・ヨッフム52歳だった。埋葬は同市立墓地で、墓碑銘として、「実に信仰、希望、愛、この三つのものは限りなく残らん。しかしてそのうちもっとも大いなるものは愛なり」コリント書13章。
 楽劇ワルキューレ全曲はウィーン・フィルによるスタジオ録音で、スタジオといってもムズィークフェラインザールでの演奏会形式。ジークムント~Tズートハウス、フンディング~Bsフリック、ヴォータン~Brフランツ、ブリュンヒルデ~Sメードル、ジークリンデ~Sリザネック、フリッカ~Sクローゼ。
 モノーラル録音で、明晰な記録となっている。盤面割は10面で、片面だいたい22分くらいずつのもの。第一幕は3面で第二幕は4~7面、第三幕ワルキューレの騎行は第8面、ヴォータン告別と魔の炎の音楽の終末は圧巻でフルトヴェングラーにとっても、究極の仕上がりであろう。
 命令に背いたブリュンヒルデをヴォータンは厳しく罰し、岩山の頂上に眠らせ、目覚めさせた男の妻となるように定める。だが、彼女の哀願と説得に心を動かした彼は、娘を炎の壁に囲ませ、真の英雄のみが、それを踏み越えられるであろうと定めを変えるのだった。
 フルトヴェングラーは、その記録にのみ音楽は宿っている。ということは、それを再生するものにのみ与えられる喜びと云えるだろう。「オーディオ」の特権である。ここでやっかいなことは、それにグレードというものがあり、人にとってクリアすべき課題と云える。どこの位置にそれを実現するのか ? それこそが課題と云うべきであって、アナログの世界に限りない可能性はある。そこのところで議論の余地はあり、アナログ対デジタルの図式はどちらかの立場に立つという宿命があるのだが、フルトヴェングラーはアナログの子であるのに違いない・・・