千曲万来余話その540~「B氏弦楽四重奏曲ヘ長調作品135、作曲者の世界と演奏家の距離・・・」

 星空を目にする時間はというと宵、夜半、夜明けという時の経過で、地球の自転による設定を共有する必要がある。すなわち3月29日頃では宵の明星がおうし座という西方のプレアデス星団すばるを横切る宇宙ショーが見頃であり、科学館のプラネタリウムでは天体の進行が見やすい。
 ベートーヴェンの葬儀は1827年3月29日ウィーンで執り行われている。万を超えるウィーン市民による葬列が見られたと、伝記本にはある。命日は3月26日、雷鳴にこぶしを振り上げて息を引き取ったのは午後6時ころとのことだった、56歳肝臓硬化症。
 B氏は生涯に弦楽四重奏曲を16曲残している。作品18で6曲1セットをまとめて1801年に楽譜出版されている。1799年第1番ヘ長調が作曲完成。通称ラズモフスキー四重奏曲は1806年作曲作品59で3曲、第10番変ホ長調作品74はハープというニックネイム、1810年第11番ヘ短調セリオーソ、13年経過して5曲連作で作品127、130、132というのはガリツィンセット。第12番変ホ長調作品127は1825年2月作曲、第13番変ロ長調作品130は1825年11月作曲で終楽章を大フーガ作品133に代えて1826年10月にロンドソナータを当てている。第15番イ短調作品132は1825年7月作曲で完成初演は第13番より早い。第14番嬰ハ短調作品131は1826年8月作曲だからガリツィンセット3曲の後の作曲になる。第16番へ長調作品135は1826年10月作曲という最晩年、27年間で第1番の調性に回帰する。
 弦楽三重奏曲としては1792年作曲第1番変ホ長調作品3で六楽章、1798年頃作曲作品9ではト長調、ニ長調、ハ短調の3曲、作品8ニ長調セレナードは1797年頃作曲で作品25フルート付きセレナードと一対をなす。モーツァルトは1788年9月にK563変ホ長調として喜遊曲ディベルティメントとして弦楽三重奏を6楽章で作曲していた。
 ヴァイオリン、アルト、チェロという3重奏曲を演奏する時、チェロの配置により選択肢は二通りとなる。すなわち中央とするか、Vnとコントラストの配置か? という2選択である。このことに対して、答えをひとつに限るのではないことに注意が必要とされる。それならどちらでも良いということなのだろうか? つまり、何を目的とするかにより、答えは決まるというものである。だから、作曲者のイメージという前提条件を設定したとき、どちらでも良いというのは、誤りであろう。すなわち、チェロを中心として、舞台の対称としてVnとアルトをコントラストとするのが、最善の配置だろう。中心となるのはチェロで扇の要なのである。その前提に立ち、ヴァイオリン両翼配置という言葉が後付けでありながら、弦楽四重奏のチェロ配置は、第1Vnと第2Vnの中央にチェロとアルト配置が作曲者のパレットというもので、料理はいかにでも・・・というのは、最善の音楽を希望する盤友人としては、チェロアルトが中央とする弦楽四重奏を理想とする。だから、チェロが第1ヴァイオリンと正対する配置は、不自然に感じられる。チェロ奏者は演奏配置の中央にあって、その上で各楽器との会話が聴き手にとって、整理整頓された作曲者のイメージを伝えることに成功する。
 盤友人のオーディオ装置は、このたび60ヘルツ変換器のほかに電源トランス、パワーアンプ、ラインアンプ(プリ)という6セットを碁盤に載せる次第となった。LPレコードであっても、マスターテープに迫る再生音に近づき、楽器の周囲の空気感が再生されて、距離感が鮮明化へと変化を見せた。室内楽という愉悦は、作曲者へのリスペクト尊敬という次元へ飛躍して、ベートーヴェン生誕250年という節目を迎えた・・・