千曲万来余話その541~「バッハ無伴奏Vnパルティータ第3番、イダ・ヘンデルの演奏する意図・・・」

 イダ・ヘンデル1928.12/15ヘウム、ポーランド生まれは存命する最古参女流ヴァイオリニストの一人で、幼少からカール・フレッシユやジョルジュ・エネスコの薫陶を受けている。幸いなことに盤友人は彼女から、レコード・ジャケットにサインして頂いた幸運を体験している。その夜のリサイタルは、ラヴェルのツィガーヌ、ピアノ伴奏がメインディッシュだった。80歳を越えていてもなお矍鑠としていて、一夜のピークをうまく設定していて演奏会として大成功、大変立派な演奏会だった。
 彼女の評価として、20世紀前半の演奏スタイルを今に伝える偉大さを確立している。1995年9月と11月にロンドン・第1アビーロードで、バッハの無伴奏ヴァイオリン、ソナタ、パルティータ全6曲をアナログ録音している。プロデューサーはポール・ベイリーで、バランス・エンジニアはアレックス・マルコウ、英国テスタメント盤。
 盤友人がこれを購入したのは15年余り前の事で、思えばLPレコード再生としては、かなりむつかしいものだった。ひらたくいうと、なかなか良い音に聞こえない代物だったのである。音自体は薄っぺらく、ガツんガツん弾いているのが耳について、力技が勝っていて、聴くのに疲れてしまっていた。なぜ彼女はこんなにりきんでゴシゴシ弾くのか?疑問が先立って味わう以前の段階だったのだ。ということは、このレコードを再生することは、ときどきであり、そして満足感を経験することはできなかったのである。
 オーディオというものは、音の出口としてスピーカー、胴体としてアンプリファイヤ、入り口としてプレーヤー、その生命はピックアップ、カートリジがある。そのオーディオアクセサリーとしてスピーカーケイブルやラインコードなどがある。何をチョイス選択するかで音味は、かなり変化するものであり、盤友人は40年余り、人生の半分以上を費やしていることになる。ケイブルやラインコード選択基準は、1950年代、60年代の素材というものである。すなわち機材の製作された年代のものがベストマッチということで99,9999%純銅などという宣伝文句とはまったく縁がない線材である。不思議なことであるのだが、機材の製作された同時期のものこそベストなのである。これはヴィンテージオーディオの生命だ。つまり、モダンオーディオは、常に最良のものを追求していてという建前、すなわち絶えず以前を否定している立場に過ぎないのである。前よりこの方が良いという立場なのがモダンオーディオの実体であり、そこが、決定的にヴィンテージ物と異なるところである。ワインの世界と同じであり、エイジングだけでは説明がつかない世界、純粋に最良の世界を味わう世界といえるのである。
 最近、昇圧トランスの箱を札幌音蔵社長は少し大きなものを製作し、取り換える次第になった。結果は明らかでイダ・ヘンデル演奏の再生音は一段と向上を見せた。ホ長調BWV1006の第1曲プレリュード前奏曲は、ヴァイオリンという楽器の箱鳴りがバランス良く再生されることになった。すなわち、彼女の演奏上での努力とは、ここに有ったのである。つまり、10年前の薄っぺらい音とは、胴鳴り音再生がかなわなかった状態であって、そのバランスが向上して初めて真実が明かされたといえる。良い音とは、音楽的真実の再生をもたらすものなのだ。電子ピアノとグランドピアノの比較を想像していただけると話は早い。電子音には倍音が無いのと同じことである。この倍音の音圧を向上させることこそアナログの醍醐味といえる。1980年代にジャーナリズムが総動員されてデジタル時代を開始、アナログ時代は否定されて現在に至る。笑止千万なことではあるのだ・・・・・