千曲万来余話その544~「ブラームス、ピアノ協奏曲第2番で聴こえるか否かという事実・・・」

 4/30木曜日札幌ではソメイヨシノが開花するか否かが話題になるところ。東京では3/20頃の話題だったから日本はいかに南北に長い距離があるかの証左、季節感は地域性を物語る。もっとも、こちらでは辛夷こぶしの開花、白い花びらが露払いだからわくわく感はクレッシェンドを愉しみとする。次第に強くそしてディミュニエンドという音楽用語が身をもって知らされるこの季節は、日本の四季を知らされることになる。
 何を酔狂な話題?と今や地球全体が新型肺炎ウィルスの大流行期にあって顰蹙を買うも、人が集まることにより感染リスクが問われてこの時期は絶望的な局面にあるのも事実だが、盤友人は希望を決して捨てるものではない。ステイホーム週間も未来には、時間はかかることとは思われるけれど、ここが我慢のしどころだろう。
 横綱の土俵入りを思い浮かべるがよい、両腕の開き方は二通りあって盤友人の青春時代は大鵬関、雲竜型といって左腕を胸にして、右腕を開くという攻めと守りの両立を象徴する時代だった。ところが現代の白鵬関は両腕を開く不知火型、これは男性的ともいえる。両腕で力を込めるという象徴である。これは管弦楽団の弦楽配置の方法、二者択一のヴァイオリン配置型とパラレルの関係にある。
 知人からメールがあって、独奏ケントナーでボールト指揮したフィルハーモニア管弦楽団、あれはデニス・ブレインが吹いているのかという問い合わせをいただいた。にわかに返事したのはコピーライトのことで、あれは1958年とのことだった。盤友人はレコード棚を探してASD268というヒズマスターズヴォイス白金のレーベルを再生したのは深夜で、独奏ホルンをしっかり聴き込んだ。デニスの特徴は高音域が楽々の演奏で、ほぼ彼の姿が思い浮かばれる。問題はレコーディング ファースト パブリッシュト1958年の解読になる。録音年月日は不記載でも、1958年の録音は考えられないから、ASD290番号、メニューイン独奏するグーセンス指揮フィルハーモニア管弦楽団のラロ作曲スペイン交響曲作品21は1956年録音だった。あれも1958年コピーライト記載LPレコードだったことからその類推により、ホルン首席奏者デニス・ブレインが存命中のレコーディングということは確実である。事実は未確認事項。残念ながらエードリアン・ボールト指揮したLPレコード、情報が日本国内では希少だ。
 時間は経過して、盤友人のオーディオシステム格段の向上を迎えてレコード購入当時とは雲泥の差、すなわち左右チャンネル分離感がグレードアップしたことにより、右スピーカーから第2Vnが聴こえる段階になり、その奥に独奏ホルンは定位ローカリゼイションを主張する。
 左スピーカーで第1と第2Vnが演奏を展開するのは雲竜型で、不知火型の両腕左右に展開するスタイルはVn両翼配置であろう。この感覚は、良い音良い音楽を求めるオーディオの世界のグレードアップと並行する問題だと考えられる。モノーラル録音という時代で弦楽配置は、聴こえればそれで良いということだったのが、ステレオ録音によると、定位ということで左右感は音楽の問題となって浮上する。盤友人は札幌交響楽団を指揮したマックス・ポンマー氏と会話したことが有るのだが、彼はダブルウイング問題で、両腕を左右に開き輪を描いて嘲笑した。明らかに両翼配置をあざける態度を表明したのだった。盤友人にとって忘れることのできない体験である。これが何を意味するのかというと、演奏家は主体的に両翼配置を採用しない意思の問題で演奏上での主体性確保という立場、指揮者多数派の態度だろう。エードリアン・ボールト卿の録音を高く評価するのは、両翼配置採用する演奏を記録したことによる。一聴して分かることだが、左右にVnが展開する方が音楽演奏の格は上といえるのがオーディオ愛好家のグレードと一致することだろう。デニスがホルン首席で演奏することにより、木管楽器アンサンブルも万全で安定感ある音楽を展開しているのは言わずもがな・・・