千曲万来余話その547~「ムソルグスキー、展覧会の絵ライヴLPレコード・・・」

 今までこのサイト発信では、ベーゼンドルファーのピアノ音盤紹介に一所懸命で、一体なんのつもりか?と疑問を持たれている向きもあろう。ピアノはピアノであり、メーカー問題にこだわることに疑問派は、多数の方だろう。そう、メーカー問題は、目的ではあらずして音楽を楽しむこそ本意なのである。
 ところが、オーディオにとって良い音とは何かを究めるとき、決め手は余韻と倍音の成分追求にあるというのが、現段階のポイントになる。なぜCDではなく、LPなのか?果たしてSACDとLPレコードの良い音とは、手のひらと手の甲ほどの相違があるのだろう。つまり、ベーゼンドルファーとスタインウエイの相違にこだわることこそ、オーディオ愛好家の醍醐味、その決め手こそ倍音成分であって、それに気づくか否かの世界である。どちらがエライかの問題ではあらず、その違いの追求こそ、オーディオというまでだ。今年の2月2日に札幌キタラ小ホールでバリトンリサイタルがあり、シューベルトの水車屋の娘全曲演奏会、その時の使用されたピアノこそ、サー・アンドラーシュ・シフ選定による楽器であった。ピアニスト左手の打鍵により、そのキャラクターはウィーンの香りを表現されていた。  展覧会の絵というと、ラヴェル編曲による管弦楽版が有名だが、原曲はピアノ独奏曲。1886年までロシアで楽譜出版はされていなかった。モデスト・ムソルグスキー1839.3/21カレヴォ生~1881.3/28ペテルブルグ没大作曲家ロシア五人組の一人。この大作の実演レコードは、フィリップス系列で1958年2月ソフィアライヴとしてスヴィアトスラフ・リヒテル、片やRCAレコードで1951.4/23実際のカーネギーホール演奏会、ウラディーミル・ホロヴィッツの二大横綱級、LPが有名である。両者ともスタジオ録音演奏盤は存在する。開始のプロムナードでミスタッチがちらっと感じられるのはリヒテル1915.3/20ジトミール(ウクライナ)生~1997.8/1モスクワ近郊没のもので、そんなことは、微塵もマイナス要素にならないほどの完成度、感情移入マックスのLPである。ピアノもベーゼンかペトロフかといえるものである。
 ホロヴィッツ1904.10/1キエフ(ウクライナ)生~1989.11/5ニューヨーク没は、1921年ハリコフでデビュウするも革命期の混乱を避けて祖国を離れ、ベルリン、ハンブルクと活動を展開し1928年にはビーチャム指揮によりニューヨーク・フィルと米国デビュウを飾っている。彼は精神的、肉体的にもスランプに陥り、数多く活動休止を経験している。1933年にはトスカニーニの娘婿となりワンダと結婚、1936年から4年間、1953年から65年まで12年間、1968年から74年まで6年間というもの。再起不能と噂されるも一つひとつ克服してステージに復帰、1983年と86年には来日公演、その86年には60年ぶりのモスクワ音楽院大ホール演奏会を成功させている。89年にはニューヨーク自宅で最後のレコード録音を果たした直後に帰天している。
 最初の来日公演の際、高名な日本人評論家「ひびの入った骨董品」とのクリティークによりその3年後にリベンジしたとのこと、圧倒的な名演奏を披露している。彼は自宅からスタインウエイを持参、使用している。カーネギーホールライヴの展覧会の絵では、緊張感が第1音から発せられて、プロムナードをミスタッチ無しで一気呵成に演奏している。「サミュエルゴールデンベルクとシュミーレ」では大金持ちと貧乏人のキャラクターを見事に表現していて、ダイナミックスレンジも幅広い。B面、キエフの大門では演奏者自身の改定で即興性を表現していて、憑依現象かと思わせるほどのグリッサンドで豪華絢爛たるフィナーレに、胸のすくことこの上ない。協奏曲演奏の際にはコントラバス、6丁と太刀打ちするのではあるまいかと思われる程・・・拍手は記録されていない。
 ジャケット写真は、ニューヨーク・スタインウエイアンドサンズ、演奏使用楽器関係性未表記