千曲万来余話その557~「B氏ピアノ協奏曲第2番バーンスタインとグールドの出会い・・・」

  テレヴィで大相撲を観戦する、幕内力士の土俵入りのときに一人ひとり上がるその足を観察していると、左足から右足から力士により様々で足を上げ踏み切る足の方が利き足なのだろう。その時、力士は無意識なはずである。グレン・グールドの演奏を聴いていると、自然、左手のパッセージが意識的に聞こえる。力の込め方が右手より意識が強いように感じられる。実際はどうなのか確認することはできないので、そうなのかなあ?と感じる世界である。
 1957年1月グールドは、ニューヨーク・フィルハーモニックとベートーヴェンのピアノ協奏曲第2番変ロ長調作品19を演奏している。彼は25才で指揮者38才のレナード・バーンスタイン、彼らの良好な関係は1962年までしか続かなかったのは、天才同士の相性によるものなのだろう。衝突した音楽はブラームスのピアノ協奏曲第1番、テンポの設定に合意形成は果たされずバーンスタインは、グールドに従う結果となった。彼ら最初のレコーディングは1957年4月録音でコロンビア交響楽団といえども、実体はニューヨークフィルハーモニック、契約関係からクレジットライセンスはそうならなかったのだろう。名称といえども、名は体を表すのだが音楽的には無視できるともいえる。
 モノーラル録音、ピアノの音色は克明で、オーケストラ弦楽器の厚みは充分でベートーヴェンの音楽に相応しい。といっても、ホールのサイズは現代仕様で、作曲者の時代とはスケールが異なるだろう。弦楽器の開始は、指揮者の意志が反映されていてテンポの設定は微妙に意志的に動きを伴っている。その後からソリスト独奏者が入るのだが、グールドの意志は決然としていて、素早く反応する。伝記本を読むと彼はその当時SPレコードでシュナーベルの演奏を愛聴していたと有った。シュナーベルというと、ベートーヴェンの全ソナタをSP収録していた最初のピアニストで、それは当時の規範となるスタイルだった。まず、テンポの設定は機械的に非ず、微妙に変化する意思が反映されているし、強弱の幅は広く取られて、対比は明快である。分かり易くいうと、バーンスタインが弦楽で語り掛けるように演奏すると、それに呼応するがごとくグールドはピアノを演奏させる。この阿吽の呼吸は、みんなそのように演奏しているかというと、意外と機械的、スポーティブな演奏に陥りがちである。グールドの味わいはレガートなフレーズ、ノンレガートといった、区切りをつけた表現の入れ替わりに妙味はあるといえるのだろう。
 1957.1/16というと、巨星アルトゥーロ・トスカニーニ89才が息を引き取っている。その前年11/24グィド・カンテルリ36才がパリで客死している。その2年前にはウィルヘルム・フルトヴェングラーが68才で病死するなど、音楽界は偉大な存在が新しいスターを呼び出すかの如く、時代の節目を形成していた。カラヤンやバーンスタイン時代の到来を告げていてその端緒に当たるレコーディングが、L・BとG・Gの共同作業であたというのは象徴的だったかもしれない。
 オーディオの話の時、「倍音」を聴くという言葉がある。まさに、ベートーヴェンの第2協奏曲第二楽章の後半カデンツァ装飾的経過部で、独奏ピアノという楽器が奏でる「倍音」を鳴らす部分がある。この変ロ長調作品19は彼がウィーンに出て23~25才の当時に作曲されている。第2番でも、先に楽譜出版されたハ長調作品15の前に作曲されている。楽譜出版は1801年末、第1番は1798年作曲で2番の3か月前に楽譜出版されたことによる。いずれにしろグールド演奏の特色てある、ピアノの音によく耳を澄ませる行為が聞き取れる、決定的な記録となっている。バーンスタインも素晴らしく更にその上をいくグレン・グールドとの奇跡的な出会い・・・