千曲万来余話その558~「クリスティアン・バッハ、涼味満点のフルートソナタを・・・」

 コロナウイルス禍の今年は、一変した世界になっている。8/6札幌市民交流プラザで開催された交響楽団新・定期演奏会も、4階が閉鎖されて客席は全体で半減、空席確保されていた。もちろん入場時の検温で感染防止対策は施され、半券チギリも入場者本人による。ニックネイム・ヒタルの大ホールは渋谷NHKホールと同程度の空間、2019年8月に開館されてオペラ公演対応の施設、こけら落としでは「アイーダ」が催された。期待されていた矢先に出鼻をくじかれたようである。
 問題点を一つ提起したい。オーケストラ公演におけるPAパブリック・アドレスだ。映画館などではスクリーンの両サイドにスピーカーが組み込まれていて自然な音響が提供されている。管弦楽の公演において、この両サイドのPAが曲者といえる。率直に言って、映画と演奏会の違いはどこにあるのかというと、管弦楽は舞台で音楽を演奏している。すなわちその上で、両サイドのPAは木に竹を継いだ形になっているのだ。だから、ヴァイオリン協奏曲でも独奏者がカデンツァを演奏している時、舞台の全体に音響は広がって、管弦楽が入る印象は小さな広がりその位置感覚になりさがる。異様なバランスなのだ。昔の札幌市民会館や厚生年金会館などPA装置のない会場では当然のことだが、管弦楽と独奏者のバランスは音響技術者が調整するわけもなく、指揮者一人の感覚に委ねられている。多分管弦楽団員たちは、違和感のないであろう空間の中で演奏されているのだろうが、客席にいる聴衆の一人にとってコンサートマスターの熱の入った演奏が、ステージの左側袖から聞こえるのは不自然という違和感を覚えるのである。
 独奏者使用楽器ヨハネス・バプティスタ・グァダニーニ1748の鳴りっぷりよい音楽も、アンコールでの音量感に首をかしげてしまった。彼女の演奏に責任は無いのだが…
 フルートという楽器は木管楽器、なのに現代では金、銀、洋銀といった金属製フルートが主流を占めている。これは大量生産される近代の象徴であり、手工業は細々と営まれている事実も影響していることだろう。そんな中でクルト・レーデル1918.10/8ブレスラウ出身~2013.2/12ミュンヘン没は数少ない木管楽器奏者であり、指揮者の一人でもある。残念なことに1960年代の途中から金属製にスイッチしているのだが,彼は、その上でも木管の音色を出す工夫をするという発言をしている。
 ヨハン・クリスティアン・バッハ1735~1782大バッハの末息子でセヴァスティアンの死後15歳にしてカール・フィリップ・エマヌエル・バッハに引き取られる。ボローニャのマルティーニ神父のもとで研さんを積みカトリックに改宗し1764年ロンドンでは当時8歳のモーツァルトと交流している。
 6曲のクラフィーアとフルートのためのソナタ作品16、鍵盤楽器としてフォルテピアノ、ハンマーフリューゲルが使用された演奏1969年録音でイングリッド・ヘブラーは絶妙な音色のコントロールに成功している。第1番ニ長調に始まり、ト長調、ハ長調、イ長調、ニ長調、ヘ長調というそれぞれ2楽章構成は正に、ソナチネ小奏鳴曲アルバムといえる。なぜにこのような調性になるのかというと、作曲当時の楽器フラウト・トラベルソは音孔も限られていて、♭変や♯嬰といった音の演奏に自由は確保されていなかったことによる。去年オーボエのハインツ・ホリガーにサインをもらった時LPジャケット写真で一緒していたオレール・ニコレを指さし「彼といったらボーボー吹いている」という具合に嘲笑していたもので、オーボエのピッチの正確さに比べるとフルートの音程は一歩譲るところである。
 クルト・レーデルは伸びやかで爽快な印象を与える演奏を記録している。ヘブラーとのユニゾン斉奏も素敵な仕上がり・・・・