千曲万来余話その598~「ラヴェル、ソナチネ、故遠山慶子女史によるレコード」

 いま、モカコーヒーを口にしてパソコンに向かっている。レギュラーコーヒーというと学生時代に喫茶店で先輩からおごられたブレンドコーヒー、苦味が印象的で、その後に食したチョコレートパフェが妙に忘れられなかった。条件反射、コーヒーの後のパフェ、後年になり混声合唱団演奏旅行の打ち上げでは、勢いに乗りチョコレートパフェの後にフルーツパフェを注文して、その違いに納得した思い出が続く。コーヒーはだから、マンデリンという苦味の強いものがコーヒー人生の出発になった。10年ほど続けてからキリマンジャロ、コロンビア、グァテマラ、ブラジルという旅を続けて、モカの酸味に辿り着いた。ブラジルは中性、キリマン=タンザニアとかコロンビアはどちらかというと酸味の味わいが香ばしい。ケニアなどという強烈なものから、どちらかというとマイルドな味わいのモカコーヒーは上品であろう。多分、バッハとかベートーヴェンたちが口にしたものは、アフリカ系、それも酸味系なのかなあと思いを巡らせている。
 モーリス・ジョゼフ・ラヴェル1875.3/7シブール生れ~1937.12/28モンフォール・ラモーリ没、父のピエール・ジョゼフは技師で発動機工業先駆者のひとりで2サイクルエンジンの発明者。母方はピレネーのバスク地方出身、スペイン系の流れを汲む。多分、フランス、スペインの交差地点出身というと正確なのかもしれない。若いころから音楽を愛好していた父は、息子たちを音楽家に育てたいと望んでいたらしい。7歳からラヴェルはピアノのレッスンにつかされていて、12歳でドリーブの弟子シャルル・ルネについて和声学を学び始める。14歳でパリ音楽院予科に入学を許可され、ここで彼はリカルド・ヴィニュスと出会い影響を受けたという。1900年世界大博覧会でジャワのガムラン音楽などを知る。1893年最初のピアノ曲セレナード・グロテスク、この時期にはエリック・サティなどのミステリアスな色彩に感化されたといわれている。22歳で対位法や、フォーレに作曲を学んでいる。水の戯れ1903年作は彼に献呈されている。
 この時期01、02、03年にローマ賞連続落選して、パリ音楽院にまつわるいわゆるウヴェル事件が起きている。フォーレやロマン・ロランは擁護派としてラヴェルを育てていた。
 1903~05年にかけて、ソナチネを作曲、小さいソナタはモデーレ(中庸なテムポで)、ムニエ(メヌエット)、アニメ(生き生きと)の3楽章形式。古典的ソナタ形式は提示、展開、再現、終結という部分から成り、第1楽章の第1主題を第3楽章に再現するいわゆる循環形式を、巧みに作曲している。第2楽章の八分の三拍子、八分音符を1拍するのには、彼は特にサラバンドではなく、ワルツでもない、いわゆるメヌエット(ムニエ)のテンポを作曲者は指定している。無論メトロノーム記号を指定するものではない。これがラヴェルの音楽観、すなわち機械的にならず、音楽を演奏するという感覚的把握だろう。
 遠山慶子女史1934.3/25東京生まれ~2021.3/29同地没は、1952年9月来日したアルフレット・コルトーに出会い、54年8月渡仏してエコール・ノルマル音楽院に入学コルトーに師事する。56年日本デビュー、57年帰国して遠山一行氏と結婚、63年にはパリで海外コンサートデビューを果たしている。78年、日本ショパン協会賞受賞、2010年にはモーツァルト作曲ピアノとVnのソナタ選曲集で第51回毎日芸術賞受賞。1979年コピーライト、カメラータ・トーキョーのレコードを再生する。今から40年余り前の記録、コルトー直伝の演奏、彼女の最良の音楽を愉しめることが出来るのは幸いである。ベーゼンドルファー・インベリアルという薫り高いピアノの音色に享年87女史の音楽に接する悦びは、天上の魂と交流する無二の体験となる・・・