千曲万来余話その601~「ドビュッスィ曲ビリティスの歌シュターデという美人音楽家列伝・・・」

 4月に「知の巨人」逝去していたという報道、故人の訃報に哀悼の意を表する。彼自身「自分は勉強屋」とインタビュウに答えていた。飽くなき探求心に敬意を表する。ただし彼が1982年頃に発信したデジタル礼賛論は、オーディオ界にとり「ミスリード」という評価を下す。知の巨人の発信に従いレコードプレーヤーがどれだけ手放されたことか、その罪は甚大といえるだろう。犠牲者はオーディオマニアの多数である。当時「土星の輪」が鮮明なデジタル画像が同時に流布されていて、自然、デジタル優位の印象的土台は形成されたのだろう。アナログ世界は否定されて、劣等ツールの烙印は、決定的にみじめであった。ところが、昭和57年に出会ったオーディオの先輩などは「PCM録音、何も音は良くないね」という発言を堅持していた記憶は鮮明である。感性でデジタルの未来を見抜いていたといえるだろう。おかげで盤友人は我が意を得たり、で独自のオーディオ人生を歩むことが出来て、「アナログ」の真髄に迫る境地に居る。「知の巨人」と正反対の世界に遊ぶ仕合わせを喜びたい。
 1945年6月1日米国ニュージャージー州ソマーヴィル生れフレデリカ・フォン・シュターデは、1970年メトロポリタン・デビュウを果たし、2010年リタイヤ。1986年初来日、サイト読者で演奏会に足を運ばれている方もいらっしゃるに違いない。天は二物を与えた稀有な存在、天与の才を独り占めしたシンデレラガール、三浦淳史指摘した琥珀色のラヴリーヴォイス、ステージ映えするチャーミングな容姿というのは、正に、二物どころか三物、四物とか相応しいメッツォ・ソプラノ歌手、メッツォというのは適度にというイタリア語、ソプラノに次ぎ低い音域を持つ。豊かな声量、チェストヴォイスという胸に共鳴させる豊かな声は、代表的歌手としてクリスタ・ルートヴィヒ1928.3/16~2021.4/24ドイツがいる。
 シュターデは父親がドイツ系で母親はアイルランド系米国人。吉井亜彦氏によると二十歳前パリ留学でティファニーの店で働いていたという。ニューヨーク、マンネス音楽カレッジに入学、二十四歳で卒業、1969年メット歌劇場支配人ルドルフ・ビングのオーディションに合格、1970年1月スクロヴァチェフスキー指揮レンネルト演出でシャガールの装置モーツァルト作曲「魔笛」第3の童子役でメトロポリタン歌劇場デビュウ。以後アメリカ各地で、フィガロの結婚でケルビーノ、ドビュッスィ曲ペレアスとメリザンド、73年にはセヴィリアの理髪師で大役ロジーナを歌っている。英国グラインドボーン音楽祭ではパリオペラ座とケルビーノ、翌74年にはザルツブルグ音楽祭でカラヤンに招かれ、ケルビーノとして登場、76年ミラノ・スカラ座ではロジーナ役でイタリアデビュウを果たすなど順風満帆の世界進出である。77年DG録音アバド指揮ウィーン・フィルとマーラー交響曲4番、大いなるよろこびへの讃歌で名唱を披露している。
 米コロムビア盤M35127、サイド1は、ジョン・ダウランド、ヘンリー・パーセルの英語、フランツ・リストによるドイツ語、サイド2でクロード・ドビュッスィ作曲三つのビリティスの歌、パン牧羊神のフルート笛、頭髪、水の精の墓。カントルーヴ、仏語の歌。
 この音盤を始めにかけて、印象は薄いのだが、即、チェンバロの音盤を10分ほどエイジングしてカートリジ、針の性能を向上させる。なんと二回目の再生、ダウランドやパーセルの英語で、SやTの発音が綺麗に再生される。1978年CBSコピーライト。ピアニストはマーティン・カーツ。口の中を丸くしたようなドイツ語のディクション、流麗なフランス語の発音など、愛称「フリッカ」の面目躍如としたレコードに、アナログ世界の愉しみを充分に堪能する夏至を迎えた今年である・・・ストロベリームーンは25金曜日