千曲万来余話その644「モーツァルト協奏交響曲K.297bカラヤン指揮で・・・」

 音楽でなにより尊重されるのは、自由であること、自由意志は演奏家にとり優先される。つまり最高度のパーフォーマンスは自由な心理的、空間的、時代的すべてを越えて成し遂げられることなのだろう。カラヤン1908~1989は第2次大戦後ベルリンに凱旋したのは1955年のことになる。それ以前はロンドンでレコーディングに集中していた。例えば、1953年11月12日にはデニス・ブレインとモーツァルトのホルン協奏曲、11/13にはベートーヴェンの第九、11/13-16-19には第4、そして11/17には協奏交響曲を集中的に録音している。
 カラヤンは初来日でNHK交響楽団を指揮した際、岩城宏之の証言によると彼は、楽員を指揮するのは「キャリー」と言っていたのである。つまり、引っ張ったり、強制するのではなくて、楽員の意志を利用して運ぶことを意味していた。どういうことかというと、音楽する自由意志の最大限発揮、尊重する態度こそがディリゲント指揮することを意味していた。それは、レコードに針をおろしたその瞬間、鑑賞者に伝わるのが音楽である。協奏交響曲の開始は管弦楽の総奏トゥッティで、フィルハーモニア管弦楽団のすべてが伝わる。
 オーディオというもので、装置をつないでから様々な工夫を積み重ねてレコード溝すべての情報を再生することで、この音楽を勝ち取ることができる。良い音とは、キレイ、美しいなどを突き抜けて演奏者の魂に触れることができるグレードまで高める努力の目的となるものだ。ここの開始を一聴して、カラヤンとフィルハーモニア楽団員の一体感がこのレコードの価値といえるだろう。喜びに満ちていて、音楽家すべてがフラット平坦の世界に立っている。
 モーツァルトはオーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルンのための協奏交響曲変ホ長調K.297b原作クラリネットではなくフルートのものは消失、1778.4/5-20パリ、「ギャラント・スタイル」の音楽を作曲している。三つの楽章が同一の調性ということからなどで、偽作、とも考えられている。
 オーボエはジドニー・サトクリフ、クラリネットはバーナード・ウォルトン、バスーン(ファゴット)はセシル・ジェイムス、ホルンはデニス・ブレイン録音当時32歳たちが美事な演奏を披露している。デニスのホルン吹奏にすべての猛者たちが一目置いていたであろうことは、楽器を演奏経験のある人に自明、いわずもがなである。演奏の難しさはすべての楽器にいえても、リアルタイムで音がこぼれるリスクは、ホルンが極めて高く、よく知られている事実であるから、リスペクトされる光栄はホルン奏者にある。なにより、デニスはホルン奏者の父親を持ちその先代はさらに、ロンドン楽壇の草分けホルン奏者というサラブレッドである。
 デニスと同じステージに立つことの歓びは、想像するに余りある。そのことを知り尽くしていたのは、カラヤンその人である。その意味でこの33CX1178ナンバーのLPレコードは宝物、エヴァーグリーンの輝きを放っている。モノラル録音というものは、ステレオ録音と異なり、定位、演奏者の位置関係が想像世界なのである。レコード再生で耳を傾けるとオーボエとクラリネットの呼応、呼びかけする音楽は舞台左右の展開が相応しい。中央後列にファゴットとホルンの配置で、ホルン上かみ手奥は楽器の構造からしてステージ豊かに広がりを持つことだろう。音楽会いつもは、オーボエとクラリネット並べられることが多い。つまり、音楽は聞こえるだけでよく配置は自由だという感覚、モノラル録音再生のそれと同じことであり、作曲家の音楽でその楽しさは、左右に展開配置された方が格上となる。これは、現代のヴァイオリン第1と第2を並べる発想と共通していてウィーンフィルニューイヤー音楽会こそ作曲家時代回帰を表しているのだろう・・・