千曲万来余話その648「ブラームス曲ヴィオラ・ソナタという至福のひと時・・・」

  札幌ではPMFパシフィック教育音楽祭が後半に差しかかっている。ピークにホストシティ管弦楽団として札幌響が登場、ゲストコンサートマスターにライナー・キュッヘル氏が座る。彼はウィーン楽人ヴァイオリニストであり、盤友人にとり1977年3月ショルティ指揮したウィーン・フィルの演奏LPレコード、R・シュトラウス交響詩英雄の生涯で独奏Vnを受け持たれていたのが最初の出会いだった。「世界で最も初見の出来る音楽家」だとはバーンスタインの評だそうだがウィーン国立歌劇場管弦楽団コンサートマスター就任は1971年21歳のことウィーン国立音楽大学在学当時だった。大卒どころか中卒でもないとか伝えられている。ウィリー・ボスコフスキーの後任、ゲルハルト・ヘッツェル氏のサイドも務めている。1971.1~2016.8までコンサートマスターとして、後はフリーでNHK交響楽団の席に就いたり活動している。
 彼の愛奏楽器はストラディヴァリウスで「シャコンヌ」という。札幌響の席に座り、チューニング、彼の楽器は明らかに重心の低いステージに広がる響きを示していた。話は異なるのだが、ウィーン製のベーゼンドルファーの響き方も重心の低い方へ鳴るイメージがある。ブラームスの管弦楽法も低音のずしんとくる音楽と思われる。作品120の1、ヘ短調と2の変ホ長調このソナタ2曲はクラリネットソナタとして作曲されたのが1894年で前の年にはチャイコフスキーが死去している。94年2月にはハンス・フォン・ビューローが死去その夏にリヒャルト・ミュールフェルトのためソナタ2曲B管クラリネットとピアノの曲を書いている。マイニンゲンで初演、その後でヴィオラを使われるようにもしている。
  ハルモニア・ムンディHMOS30.547は1959年録音アルトはロジェ・ルポウ、ピアノはアンドレ・クリュスト。シャトウ・ドゥ・メリオン。第1楽章アレグロ・アパッショナート快速で情熱をもって第2楽章ソステヌート・エ・エスプレッシーヴォ音を保って表情豊かに第3楽章アンダンテ・ウンポコ・アダージォ歩く速さで少し緩やかに第4楽章アレグレット・グラツィオーソやや快速で優美に。第3楽章が3拍子で少しゆったりとしている。
  ピアノの音像は中央に定位、アルトは左スピーカーに定位される。これはどういうことかというと、弦楽器のソナタの場合に独奏は左側に定位する。つまり、低音域は舞台の床を必要としていて、その楽器の鳴り方が生命だろう。よく経験するヴァイオリンなど裏板が充分に共鳴している方が、安定感のある演奏に仕上がっている場合が多い。あのキュッヘル氏のヴァイオリンは、正に、その説得力ある存在感、彼はその鳴り方を基本としているのだろう。だから、公開セミナーで実演していたベートーヴェン、スプリングソナタにおけるクレッシェンドは、裏板の鳴りが有って共鳴の度合いが増していくというものだった。アルト=ヴィオラもまた、その胴鳴りの音楽が、中低音域で実に豊かな印象を与える。人の声でいうと男声の柔らかい響き方である。
  アンドレ・クリュストのピアノはクレジットこそ無いのだけれど、低音域に向かって豊かな響き方で、ウィーン製を示しているのだろう。実に豊かな音楽性で作曲者実演の趣がある。だいたい、スタインウエイは、鍵盤に対してハンマーがまっすぐ伸びる。それに比較してベーゼンドルファーは手前で弦を振動させているから、あの独特なくすんだ音色、ブラームスのイメージにピタリである。
  ブルックナーの交響曲を愛する人は、ブラームスのことをサイズが小さく感じられるのだが、どうしてどうして、複雑多岐にわたる作曲のハーモニーは、ベートーヴェンの音楽の正統な後継作曲家として歴史にその名を刻しているだろう・・・・・