千曲万来余話その660「第九、時期外れだけれどヴンダーリヒが唱い・・・」

 2/6トルコ・シリア国境辺りでマグニチュード7.8の大地震、現在犠牲者が3.4万人超という報道である。心よりお見舞い申し上げます。
 ウクライナ戦争は1年を迎え全体に厭な雲行きで、人々から停戦交渉の動きを促す方向に祈るばかりである。
 ベートーヴェンの第九で第2楽章、モルト・ヴィヴァーチェ充分に、はやく生き生きと という。ティンパニが5小節目でスフォルツァンド、特に強くと指定されている。2と4小節目は全休止、6小節目は管と弦楽器斉奏で応答しているのだが、その後2小節全休止は五番交響曲の第1楽章123と124小節目で使用されているパターンで8小節による序奏となっている。2小節というのは動機モチーフに当たるのだが、6、7、8という3小節で前出の音楽の収束となっている。この4+1+3という不規則性は、不安定感のみならず、緊張感を構築している。これがベートーヴェン面目躍如、言語道断、ここでいう心は言葉で言いあらわせない真理を音楽で伝えることになる。もってのほかという意味は、後付けで言葉の心は深い所にある。ここでのティンパニーはB氏がウィーン郊外で耳にしていたナポレオン軍の大砲音ではないだろうか。
 つまり彼は青春時代、耳にしていた音の強烈な記憶をティンパニーで表現したのではあるまいか。ヨーロッパ大陸は、地続きだからもあるだろうからその歴史に戦争の悲劇は繰り返されている。ベートーヴェンの思想として明らかに、人々に平安を祈る音楽といえる。その音楽を受け止めるよすがは、楽譜にある。第1楽章は表記ハ長調の楽譜でソとレ、D管のホルンだから出ている実音は、楽器のピアノで出すとラとミすなわち完全5度の音程、間に第3音が無いので長調と短調の区別は無くて、空虚の5度といわれている。第2Vnとチェロの刻みがある。ここで問題なのは、刻みか、トレモロかの選択である。どういうことかというと、音符の表記は四分の二拍子で6連音符である。2小節目のアウフタクト(後打ち)1,2,1,2タターというソットヴォーチェ声を和らげささやくようにという具合で第1Vnが演奏して、アルトとコントラバスがピアニッスィモで応答する。B氏の時代はヴァイオリン・ダブルウイング両翼配置が生きていたから、前衛のヴァイオリンに対して後衛はチェロとアルト、すなわち舞台オルケスタの下しも手はコントラバスが配置されていて、作曲家はこの左右感の上に立ち、作曲していたことが予想されるだろう。
 演奏者は楽譜を読むとき、和音構成、律動感、旋律性の把握にとどまらず、舞台オルケストラの前後左右を前提としなければ、作曲者、音楽演奏の片手落ちとなるだろう。時間と空間の意識は、どちらか二者択一ではなくて同時認識の芸術として音楽はあるといえるだろう。
 下手配置のコントラバス開放弦を低い方からピチカートしていくとチェロ、アルト、ヴァイオリンと滑らかに上向、チェロの前に第1ヴァイオリンが配置されているのが舞台袖ダブルウイング、指揮者左手側チェロと右手側の第2ヴァイオリンが刻みで演奏された方が、作曲者の表記した音楽に近い。
 オットー・クレンペラーは1960年5月ウィーン芸術週間にフィルハーモニア管弦楽団オブ・ロンドンを引率して登場、第九のテノール歌手にフリッツ・ヴンダーリヒ1930~66が抜擢されている。彼の歌声は柔軟、かつ伸びやかで、しなう鋼の弾力を兼ね備えてピークをBフラットまで実演している。
 1/25その人は電話で「第九の開始で第2ヴァイオリンとチェロの刻みがレコードではどちらに聴こえるかなあ、トレモロとね・・・」と話していてLINEでトスカニーニのは判かります!と送信したら既読がついていた。その後2/5朝にLINEで彼の訃報が届いた、その人2ndテノールで一回り上グリークラブの先輩Yo.shi.M氏、春になったらオイロダインで聴こうねと、約束をしていたのに突然・・・・・