千曲万来余話その673「B氏第9クレンペラー指揮、ゆったりと軽やかに・・・」

 1808年、間宮林蔵は樺太探検し離島であることを確かめ間宮海峡を命名、同じく23年シーボルト長崎来住するなど活発な時代である。
 ベートーヴェンはその1823年52歳夏にバーデンの地にて9番目の交響曲に取り組む。なお10年前の7番創作した時期に「戦争交響曲」を初演しているのだが、ウエリントンの勝利、数字番号から除いている。なお、1792年21歳の12/18に父ヨハンはボンにて帰天し、この父への追慕はユーベルム・シュテールネンツェルト・ムス・アインリーバー・ファーター・ヴォーネンこの星空のかなた、愛する父上、御わし給う!という決然たる意志の表明につながってくる。1824年5/7ウィーンにて初演、指揮を執ったのはウムラウフ第二楽章が終わり、舞台に出て行った彼作曲者をアルト歌手ウンガーが客席に向かせ5回の拍手を目に見せさせたエピソードが伝えられている。
 オットー・クレンペラーという指揮者は頑固者として名高いのだが、何故なのか?1957年10月録音を再生すると1958年リリースSAXナンバーでマスクメロン・レーベルとして名高い。英国コロンピアの初期ステレオのヴィンテージ・レコード。バスバリトン独唱者にハンス・ホッターが登場、ワーグナー歌手として高名で、オペラの場数を踏んだ名歌手唯一の歌唱であるから、ホッターファンにはタマラナイプレゼント、なのだけれど、普通の歌手とどのように違うのか? レチタティーボ叙唱という語り風の歌に迫真性は比類がない。一味も二味も、人生の経験を積んだ名歌手の芸術は、その味わいたるやスピーカーの奥に作曲者B氏の笑顔を浮かぶといったら語弊があるだろうか? これは指揮者クレンペラーと「第9」のコラボレーション、一期一会の傑作といえるだろう。
 何故にK氏は頑固者と呼ばれたのか? 答えは簡単、彼の弦楽部配置はVnダブルウイング、古典配置を採用としたステレオ録音レコードなのである。すなわち、1945年以降の演奏会は、多数派がヴァイオリンを揃えて、第1と第2Vn奏者を並べていたものである。ところが昨今のキタラホールでも、内田光子モーツァルト演奏会、ライプツィヒ・ゲバントハウスでブルーックナー「第9」演奏会などでも古典配置は現在の主流である。コントラバスとチェロが第1ヴァイオリンの後ろに配置されるのは、ピュアトーンといって純正調の響きに最善の配置といえる。
 クレンペラーのステレオ録音では、例えばベートーヴェンの第9は第2Vnとアルト=ヴィオラの奥にコントラバスが配置されているのは、当時の録音技術陣からの提案によるところが大きい。つまり右手側スピーカーの奥に最低音を響かせ、ホルン陣を左手側に配置した。これは、クナッパーツブッシュ指揮する映像でも確認できる。ロジャー・ノリントンなどは可能な時、舞台奥に配置していた。
 たとえば、第4楽章の後半、二重フーガの歌い始め、アルトコーラスが右手側から聞こえることは驚きである。どういうことかというと、ステレオ録音の多数派はアルトは中央であり、どちらがベートーヴェンの感覚に近いかと言えば、それは、女声前列の時、アルトは舞台上手の方が印象的だろう。同じく、第2ヴァイオリンの第1楽章冒頭の6連音符刻みは、舞台袖に居た方が克明である。ちなみに第1楽章の主題再現部であっても、6連符刻みをクレンペラー指揮では、印象的に演奏録音に成功している。第2ヴァイオリンとアルト=ヴィオラは舞台右手で整然と第1ヴァイオリンの合いの手を演奏し、ステレオ録音で再生に成功した時、作曲者のイメージ通りの音楽演奏となっている。
 時代は多様性のとき、もはや、第1と第2ヴァイオリンを揃える頑固者と、古典配置を採用する柔軟で新鮮な指揮者の登場は、クレンペラーをして「頑固者はどっち?」B氏の笑顔が苦笑かなあ・・・