千曲万来余話その696「ウェーベルン作品6の大編成管弦楽曲の歴史・・・」。

 シューベルトの死から55年を経てウィーンではアントン・ウェーベルンが誕生し、その9年前の1874年にはシェーンベルクが生まれていた。管弦楽曲作品6は1913年に作曲者自身指揮により初演されている。シェーンベルクは「音」について「音高、音色、強弱」という属性にふれた和声学の発信があり、とりわけ、「音色」の認識に対する指摘が主眼とされていた。無調主義という12音技法は調性音楽の極北にあり、決して否定することではなくてその上に展開する「音色」の追求こそ本領かもしれない。ほの暗い未来を感じさせるしじまの音楽は大編成の管弦楽曲において初めて実現させるという逆説、すなわち、天国的ともいわれるシューベルトの交響曲第9番グレートの音楽は、後期ロマン派時代の大編成オーケストラでこそ理想であり、古楽の音楽を指向する小編成という弦楽アンサンブルよりも8プルトサイズのヴァイオリン編成こそが理想だろう。作曲家時代の編成も一つの選択肢ではあるのだがウェーベルン作品のあとに続けシューベルトの9番を音楽会で取り上げるなら「大編成」とする限りにおいて盤友人としては、豊かなサウンドをこそ希望する。ティンパニーの音色に注目する時、鼓膜の音色強調するマレット(撥)選びも、弦楽編成に合わせた倍音豊かな響きこそ本望なのだ。
 先日キタラ大ホールにてハインツ・ホリガー氏による「吹き、振り」の669定期演奏会に足を運んだ。生き生きとした演奏が繰り広げられて客席に居る側としてもこの「交響楽団」を愛するマエストロの思いがひしひしと伝わってきて生きる力を頂いた時間であった。フィナーレが終り、すぐに席を立つお客もいるにはいるので、ああもしかして「不満」が有ったかなあとか、想いをめぐらせ不満としては、シューベルトとしてはつまらなかったなあとか。ちっとも、グレートではなかったから。つまり、作曲者に無縁のあだ名であっても、人々はロマン派への憧れからくるネーミングとして天国的な長さこそ料理のし応えあるものだから、そこを期待して、その演奏の魅力判断する分かれ目か。31歳の青年は既に音楽で此岸から彼岸へとのつながりを芸術で実現した人生ではなかったのではあるまいか。
 ウェーベルン指揮するオーケストラピット写真で確認できるのは、第1Vnの隣にチェロは配置されたピットである。すなわち、弦楽合奏の理想に「Vnダブルウイング」は彼の時代でもそうであったことが記録されている。すなわち、12音技法の時代に調性から遠ざけられた音楽も、だから第1、第2ヴァイオリン、アルト、チェロ、コントラバスと横並びにする機能主義による弦楽配置は、現代では、ピースの一枚、主流はダブルウイングすなわち、チェロとアルトを舞台中心に据えて両袖にヴァイオリンを展開するオーケストラ配置こそ原点回帰の潮流、指揮者達や、オーケストラ楽団員たちは力量が問われているばかりではなく、時代の流れを見抜く音楽観こそが今、求められているのではあるまいか。
 ピエール・ブーレーズ1925.3/26仏モンブリゾン~2016.1/5独バーデンバーデン逝、作曲家・指揮者は1970年大阪万国博期間中に来日公演を果たしている。ジョージ・セルと共にクリーブランド管弦楽団を指揮して精緻な音楽を披露、G・セルの美学を的確にフォローして一緒に長谷寺、室生寺、秋篠寺の伎芸天を観賞、日本の歴史に触れるなどするその審美眼は芸術家の真骨頂を生きていたことだろう。ブーレーズ生誕100周年にあたる今年のLPレコードとして昭和54年芸術祭賞受賞したウェーベルン全集は、46年前の記録でありながら、レコード再生において全くの遜色はありえない。永久に音楽を享受する「不滅のレコード全集」といえるのだろう・・・・・